まちの記憶

2012年3、4月

 観音崎公園遊歩道

 

2012年5月

 若松町3丁目の飲食店街

 

2012年6月

 大滝町のジャンボ・スクエア・ヨコスカが完成したのは1970年(昭和45年)11月4日。地上5階地下2階建てで、西友横須賀店をキーテナントに開店したのは、同じく11月25日でした。20012年(平成24年)4月末をもって再開発のため閉店しました。跡地一帯には超高層の新たなビルが建ちます。

 

2012年7月

  大滝町2丁目「石井ミシン商会と周辺」

 大滝町再開発地域の一角にある石井ミシン商会は、木造3階地下1階建の店舗兼住宅として1929年(昭和4年)に建てられました。創業は1913年(大正2年)で、海軍御用達のミシン販売や工業用ミシンのメンテナンスも行っていました。建築当初、外壁は銅板葺だったそうです。街区一帯の再開発にあたり、ユニークな姿が消えます。

 

2012年8月
 さいか屋横須賀店大通り館 

  横須賀の老舗デパート、さいか屋大通り館が閉店したのは、2010年(平成22)年5月11日。創業は1872年(明治5年)、横須賀磯崎(今の本町)に岡本傳兵衛が雑賀屋呉服店を開業した時に始まります。関東大震災後の1928年(昭和3年)、二代目傳之助が大滝町の現在地に3階建ての店舗を新築。1900年(平成2年)にはファション・グルメ・文化の3館編成となり、横須賀を代表する店舗として親しまれてきました。跡地には高層マンションが建てられる予定です。

 

2012年9月、10月
 旅館・新井閣  

 横須賀駅から本町に向かう国道16号沿いに、起り(むくり)(から)破風(はふ)の堂々とした姿で親しまれていた新井閣は、1930年(昭和5年)に建てられました。それ以前は汐入駅近くで営業していましたが、湘南電鉄横須賀軍港駅(現・汐入駅)の開業に伴い、新築移転。建築主の澤田半(さわだなかば)氏が当世第1級にと贅を尽くした造りで、各部屋ごとの特徴的意匠や軍港風景のステンドグラス、龍型の雨樋など素晴らしいものがありました。1997年(平成9年)に建て替えのため取り壊されました。

 

2012年11月
 船津眼科医院  

   上町商店街を右折、市立うわまち病院手前に瀟洒な洋館がありました。1927年(昭和2年)に建てられた船津眼科医院です。キングポストトラスという洋小屋組みの洋館で、すっきりした美しさは思わず見とれてしまうほどでした。建築主は共済病院の初代眼科部長を務めた船津英治氏。ハイカラな気風の持主で、建物にもその一端がうかがえます。2009年(平成21年)に取り壊され、現在は駐車場となっています。

 

2012年12月

  京急県立大学駅  

 傾斜のきつい切妻屋根に、小屋屋根ともいわれるドーマーウインドが付いた洋風の小さな駅舎は、京急県立大学駅の昔の姿です。京浜急行の前身は、1930年(昭和5年)に黄金町と浦賀間を結ぶ湘南電鉄として開通しました。その時の駅名は「横須賀公郷」その後「京急安浦」と改名し、県立福祉大学開学に合わせて現駅名となり、駅舎も一新されました。写真の駅舎はほぼ開業当時のものです。

 

2013年1月、2月

  佐野医院  

 京急県立大学駅向かい側にあった佐野医院。1931(昭和6年)建築の木造洋風建築です。写真の右手に入口があり、もちつきウサギのステンドグラスがありました。細長いアーチ型窓、腰壁のスクラッチタイル、霧除け庇の大胆な銅板など個性的な建物でした。2006年(平成18年)に取り壊されました。

 
2013年3月、4月
  ヨネイ横須賀出張所

 本町1丁目、国道16号線とベースの間にある道は終戦まで鎮守府へ通じていました。この道沿いに建っていたヨネイ横須賀出張所は、バルコニーを兼ねた大きな柱型の玄関ポーチが特徴的な事務所建築でした。シンプルな外観の中に、全体を引き締める効果のコニス、2階窓上部のデンティルや壁面の連続模様がさりげなく施されたおしゃれな建物でしたが、2007年(平成19年)に取り壊されました。

  

2013年5月
 湘南学院  
  湘南学院は、2013年(平成25年)4月、日の出町から佐原へ新築移転しました。湘南学院は1931年(昭和6年)に汐入町に「軍港裁縫女学院」として創設され、若松町校舎時代を経て、1939年(昭和14年)に現在の日ノ出町に移転しました。写真の建物は、かつて料亭萬仙荘の湯殿だったもので、学院の所有になってからは職員室や幼稚園として使用されました。美しいS字瓦葺で内部の腰壁には白の角タイルが張られ、大正時代の面影を残していましたが、校舎増築時に取り壊されています。

 

2013年6月
  松岡写真館 

  大滝町の松岡写真館は明治10年代に開業しました。写真の建物は、関東大震災後に、被害を受けなかった民家を移築して建てられたということです。当時は、照明が発達していなかったので、写真館の多くは2階がスタジオで北側にすりガラスを使った採光用窓がありました。松岡写真館も2階にスタジオ、着替え室があり、外観は洋風下見板張り、幾何学模様に仕切られた色ガラス入りの縦長窓が昭和初期の雰囲気を伝えていました。レトロな写真館としてテレビドラマにも登場しました。

 
2013年7月
  湘南内科医院 
  日の出町の湘南内科医院は、昭和初期に建てられたモダンな建物でした。フランス瓦の切妻屋根、下見板と漆喰で仕上げた外壁、光を呼び込む縦長窓で清潔感漂う医院建築です。戦前は伝染病棟、戦後は結核病棟として使われました。内部もモダンな意匠が随所に施されていました。
 
2013年8月

 旧豊浦医院 

 荒崎の手前、大きくカーブしたあたりに建っていたのが地域医療に貢献した豊浦医院でした。瓦葺寄棟屋根で洋風下見板張りのこじんまりした建物です。大正末頃に当時、東洋一のサナトリウムと言われた茅ヶ崎の南湖院の建物の一部を移築したものです。周りの民家とは違う趣が感じられますが、現在は取り壊されました。

 

2013年9月、10月

 双葉写真館

   汐入の双葉写真館は、1936年(昭和11年)に建てられました。3連の洋風窓が並ぶファサードはスクラッチタイル張り、ツタの絡まるおしゃれな建物でした。

 海軍の街として賑わった戦前は、この界隈にも数件の写真館があり、面会に来た家族や兵隊さんなどで賑わったということです。自然光を取り入れるため、写場は2階、1階は居住部分でした。1996年(平成8年)、建て替えられました。

 

2013年11月

   旧坂本郵便局

  坂本郵便局と坂本小学校は長く地域に親しまれてきました。小学校は無くなりましたが、郵便局は旧郵便局の隣に新しく建てられて業務を行っています。

 かつて坂本は、汐入、池上、佐野、逸見を結ぶ交通の要所でした。1930年(昭和5年)ごろ建てられた旧坂本郵便局は洋風と和風が混然としたような外観で、地域のランドマークとも言えました。2階の窓、玄関庇、ドイツ下見の外壁など特徴的な部分で、建築当時は瓦屋根だったそうです。この建物は2004年(平成16年)、道路拡幅に伴い姿を消しました。

 

2013年12月

  横須賀ベーカリー

 横須賀中央駅から共済病院へ向かう商店街にあった横須賀ベーカリーが、建て直しのため取り壊されました。関東大震災後の1928年(昭和3年)に建てられた2階建ての店舗兼住宅で、解体中に当時の建物の様子を知ることが出来ました。2階の梁には太い松丸太が使われ、壁は小舞壁(竹の下地の土壁)でした。来年4月には新店舗がオープンします。休店中に考えられた新商品が、名物のソフトフランスやシベリヤと共に店頭に並ぶとのことです。

 

2014年1月 

  洋館のついた住宅

 1930年(昭和5年)に建てられた日の出町の肥後邸。建築主の肥後富一郎はこのあたりの埋め立て事業を行い、埋立て当時このあたりは肥後町と言われました。フランス瓦の洋館部分は事務所、和館は住宅です。現在、レストラン、高齢者住宅、小さな子どもとお母さんが自由に遊べる愛ランドプラザに建て替えられましたが、肥後邸時代の花崗岩の門柱がメモリアルとして残されています。レストラン横に祀られた、埋め立て事業を語る馬頭観音と共に街の歴史を語っています。

 

2014年2月

  事務所仕様の洋間

 京急大津駅前にあった個人住宅。空色のフランス瓦が美しい洋館のついた家でした。当初は木造2階建てだったそうですが、1941年(昭和16年)当時、勤めていた会社が万一空襲などの被害にあった場合、臨時事務所とすることを目的に改築、台所を移して洋館部分を増築したそうです。玄関脇の事務所仕様の洋間は、細かく桟で区切られた型ガラス入りの窓、腰壁のスクラッチタイルなどが当時を偲ばせていました。2013年(平成25年)解体されました。

 

2014年3月

  金星劇場

   若松町1丁目にあった金星劇場は震災後に建てられた劇場で、2階は住宅になっていました。2012年(平成24年)に閉館した時には成人映画を上映していましたが、芝居小屋、ストリップ劇場、ニュース映画、漫画映画、西部劇映画専門、日活ロマンポルノなどを上映していたことがあったそうです。閉館後、看板がはずされると、正面入り口と左右の出入り口の上に劇場の名を表す「金の星」がはめ込まれていました。外観はピンクのタイルが張られた2階の5本の柱が特徴でした。現在は駐車場になっています。

 

2014年4月、5月

  ライオン堂

 ライオンの石像が店先に鎮座する大滝町のライオン堂は、おしゃれな洋風の建物でした。コンパクトなファサードはシンメトリーで安定感があり、随所に様々なデザインが見られます。パラペットは中央にせり出すように積み上げられた幾何学模様、歯のような形が連続するデンティル、規則的な縦長窓など。昭和初期の建築で、当初はレストランだったようです。写真の時期は印刷所で、裏は駐車場でした。現在は取り壊されてすべて駐車場になっています。

 

2014年6月

   海軍航空技術廠

   横須賀市浦郷町に海軍航空廠が竣工したのは1933年(昭和8年)ごろでした。1940年(昭和15年)に海軍航空技術廠と改称、航空機の機材の性能の研究・調査などにあたっていました。建物は鉄骨造でシンメトリーに構成された3階建て、中央は4階建てで中心となるのは旗竿刺し、装飾的な持ち送りのあるエントランス上の2階部分にはバルコニーが張りだし、堂々とした様は軍の威厳を表していました。昭和初期の価値ある建物でしたが2004年(平成16年)解体されました。

 

2014年7月

   本町の通り

 国道16号沿いの米海軍基地正門周辺はマンションなどへの建て替えが進んでいます。左端にトヨタの看板、震災後に建てられた瓦葺二階建て商店と英文翻訳業の2軒はマンションに建て替えられ、右端に見える瓦葺商店もビルに建て替えられました。

 

2014年8月

 船越の飯田屋 

   船越仲通商店街中ほどの路地を入ったところにある割烹飯田屋は、1928年(昭和3年)創業し、2007年(平成19年)に廃業しましたが、建物は現存しています。

  ヒノキの舞台がある大広間、透かし彫りの欄間、手の込んだつくりの襖や建具など、海軍工廠で栄えた船越の往時を語る建物です。写真は大広間の床の間。 

 

2014年9月、10月、11月

  米が浜の文化興業

  国道16号に面した米が浜の「文化興業」社屋は、1938年(昭和13年)に松田組事務所として海軍技師設計により建てられた木造の近代建築でした。戦後は長く文化興業が使用していましたが、社屋移転により取り壊されることになりました。凹凸のあるユニークな外観でライト調とも言われ、横須賀市の景観賞を受賞しています。

 横須賀の歴史を語る建物が消えることになりました。

 

2014年12月

 銭湯 当世館

 上町1丁目、中里通り商店街の中ほどにある元銭湯の当世館は、大正初めに当時寄席だった「当世館」を買い、風呂屋に建て替え、名前は当世館を引き継ぎました。関東大震災で倒れ、今の建物はその後建て直しました。現在は廃業となりましたが、建物はそのままで、地域のお祭りなどの時に開放されることもあります。写真の時は若手グループの古書市。タイルの浴槽、男性女性の境にはモザイクタイル、鏡、カラン跡など賑わった営業当時を伝えています。銭湯も少なくなりました。 

 

2015年1月

   小松原医院

 聖徳寺坂上にあった小松原医院の白い瀟洒な建物は、1928年(昭和3年)に建てられた産婦人科医院でした。外観の特徴は規則的に並んだ縦長の窓。建物全体の印象を明るく、温かく、清潔に感じさせます。2棟の建物の間に物干し台を作ることで、奥の建物にも光が十分とりこまれます。基礎には松杭が大量に使われていたそうです。現在は、優しい印象の医院に建て直され、小松原レディースクリニックとなりました。駐車場奥に旧医院の庭にあったソテツが植えられています。

 

2015年2月

 横須賀税務署旧庁舎

 横須賀税務署は一昨年、上町から平成町へ移転しました。税務署のあった辺りは江戸時代には公郷村田戸と言って水田の用水用ため池「田戸堰」があったところです。池の端の地名もため池に由来しています。税務署の庁舎がこの地に建てられたのは1914年(大正3年)、1923年(大正12年)の関東大震災で焼失し、その後幾度かの建て替えを経て1970年(昭和45年)に完成したのが鉄筋4階建ての庁舎でした。昭和40年代には縦のラインを強調するビルが多く建てられました。税務署前バス停も聖徳寺坂上に変更されました。

 

2015年3月

 横須賀警察署

 横須賀市役所前に建つ横須賀警察署は、2015年(平成27年)6月に新港町に新築移転する予定です。現庁舎は1970(昭和45)に完成した5階建てで、各階に規則的に並んだ大きめな縦長窓、うだつのような袖壁、モザイクタイルの縦のラインが建物全体の特徴です。横須賀警察署の開設は1877(明治10)で、平坂の児童図書館のあたりにモダンな洋風建築の庁舎が建てられています。

駐車場を含む広い跡地がどのように利用されるのか気になるところです。

 

2015年4月

 半原水源地

 1921年(大正10年)に海軍水道として完成し、戦後は横須賀水道として横須賀市民へおいしい水を送っていた横須賀水道半原系水道が、2015年(平成27年)3月31日に水利使用権が切れて廃止となりました。愛川町半原から、横須賀市逸見浄水場までの53キロを送水する水道施設の建設には、当時の最新技術と技術者が国家プロジェクトとして今でも使用に耐えられる施設づくりを行いました。表紙写真は2013年(平成25年)1031日に撮影したものです。全コースを踏査した資料集が完成しました。平坂書房、信濃屋で販売中。

 

2015年5月

 逸見浄水場

 横須賀水道半原系の水道施設は、旧海軍によって1921年(大正10年)に完成しました。横須賀から約53キロ離れた愛川町半原で取水し、逸見浄水場まで約1日をかけて原水が送られ、逸見浄水場で浄水したのち海軍工廠などへ送水されましたが、市民の水道としても分水されていました。戦後は市に移譲され、横須賀水道の象徴でもあった半原系統の水道施設は、2015年(平成27年)3月末で水利権が切れ、近じか取水扉が閉められます。なお、逸見浄水場の建物7棟は国登録文化財となっており、横須賀の水道の歴史を語っています。

 

2015年6月

 田浦町役場

 1928年(昭和3年)発行の「田浦町誌」によると、町役場はまちの中心である船越字駒寄の小高い丘陵に、鉄筋コンクリート2階建て、階下は事務室、階上は会議室で、最新式の建築法による堅牢で外観も美しい建物、と記されています。1926年(大正15年)12月中旬竣工、1926年(昭和元年)1228日執務開始。田浦町が横須賀市と合併した1933年(昭和8年)以降は田浦支所に。田浦行政センターが出来た後は学童保育所などとして使われてきましたが、2007年(平成19年)以降は空き家となっています。今でもデザイン性豊かな佇まいのまま、往時の田浦町の繁栄ぶりを偲ぶことが出来ます。京急田浦駅から10分ぐらい。

 

2015年7月

 聖ヨゼフ病院

   緑が丘諏訪神社前に建つ、特徴的なアール状の建物が聖ヨゼフ病院で、1939年(昭和14年)に建築士立原道造の所属する石本建築事務所の設計で建てられました。この地にはもと、諏訪小学校と横須賀市役所がありましたが、関東大震災で被害を受け移転、その跡地に海軍軍人家族のための病院「財団法人海仁会病院」として設置され、戦後は横須賀初のカトリック病院「聖ヨゼフ病院」として一般患者の診療を行うようになりました。

 

2015年8月

 みどり屋

 お祭り用品の店として知られる上町商店街のみどり屋。昭和初期の建物が点在するレトロな雰囲気の商店街の中で、目を引く看板建築です。関東大震災後の一時、バラック建築で商いを再開、その後、1931年(昭和6年)に現在の建物を建てました。銅板葺の外観、重くて大きなガラス扉、高い天井、色つき型板ガラスの美しい欄間。美しく丁寧に手入れされたお店に入ると、建物を大切にしている気持ちが伝わります。「第1回よこすか海の手景観賞」を受賞した建物です。

 

2015年9月、10月

 ティボティエ官舎

   横須賀製鉄所の副官、ティボティエの官舎として1870年(明治3年)ごろに建てられた東日本では最も古い洋館と言われています。2001年(平成13年)米海軍からの取り壊し予定の連絡があり、緊急調査が行われました。調査の結果、古い図面通りに洋風屋根組が残っており、木造の柱の間にレンガ積みの壁、石の基礎も見つかりました。「文化財建造物保存技術協会」立ち合いで解体工事が行われ、保存されてから10年が過ぎました。建物が建っていたのは対岸のヴェルニー公園から見える米軍基地内の小高い丘です。

 

2015年11月

 ドブ板通り

 本町ドブ板通りは、今では横須賀の観光地としての知名度が高く、ハンバーガーやカレーライスを目当ての行列ができるほどです。終戦直後は、進駐軍相手のキャバレーやスーベニアが立ち並び、女性はめったに立ち入れない場所でした。戦前は、日本の兵隊さんが故郷に帰る時などの土産物店でにぎわいました。ドブ板通りの地名の起こりは明治10年代後半で、元町の裏通りに流れていた溝川に板でふたをしたことに始まり、鉄板で蓋がされたのは昭和初期のようです。1811年(文化8年)のころは田園地帯で人家もなかったようです。 

 

2015年12月

 盛福寺管路隧道

 横須賀軍港水道として知られる半原系水道みちの、横須賀市内への入り口ともいえるのが、逗子市沼間と横須賀市田浦を結ぶ≪盛福寺管路隧道≫。全長158.2メートル、入り口には焼き過ぎレンガ、要石、帯石、笠石が装飾的に配されています。水道の専用隧道のため通行はできませんが、1922年(大正11年)から1928年(昭和3年)までは一般の通行が許可されていました。ここから国道16号までは海軍の境界杭≪山形2条と海≫が多数みられます。

 

2016年1月

   旧横須賀市保健所の建物

 現在、米が浜の共済病院駐車場となっている一角にあるのは、横須賀市保健所だった建物です。保健所は1952年(昭和27年)10月に佐野から新築移転し、当初中央保健所という名称でしたが、米が浜の保健所と呼ばれ親しまれていました。1974年(昭和49年)に改築し、1997年(平成9年)に北部・南部の保健所を統合、横須賀市保健所となりました。2001年(平成13年)に西逸見のウエルシティ3階へ移転したあと、建物は衛生試験所として使われていましたが、現在取り壊し中です。子どもたちの検診や予防注射などに行った思い出のある方もいることでしょう。

 

2016年2月

    田戸台の旧裁判所合同庁舎

 旧裁判所の建つ丘は長官山と呼ばれています。突き当りに旧海軍の鎮守府長官官舎があることに由来しています。地方・家庭・簡易裁判所と検察審査会の入った合同庁舎は、2012年(平成24年)12月、新港町へ移転し、現在は空き家です。横須賀の裁判所は、1889年(明治22年)、汐入に治安裁判所横須賀出張所とし置かれたのが最初で、翌年に区裁判所と名称変更、関東大震災で全壊し、その後何か所か移転、田戸台へは1949年(昭和24年)に来ました。木造庁舎でしたが、1957年(昭和32年)に鉄筋コンクリート建てに、その後、増築を繰り返し、1985年(昭和60年)に現在残る建物が完成しました。窓の大きな4階建の明るい雰囲気の庁舎で、平成町からも望めます。

 

2016年3月

  大津の婦人会館

 馬堀町1丁目の住宅街に建つ「婦人会館」は、『施設配置適正化計画』の適用建物としてこの3月末で閉館となります。1980年(昭和55年)に開館して以来、日本庭園を含め、多くの市民に愛されてきました。元は浦賀ドックの上級社員の社宅、接待用や福利厚生施設などとして使われてきました。木造平屋一部2階建てで、平屋部分は明治時期、2階分は昭和初期の建築と思われ、会議室、調理講習室、学習室、幼児遊戯室などがありました。敷地2288.67㎡、建物388.7㎡。閉館後は売却の予定とのことです。 

 

2016年4月

  旧横須賀鎮守府長官官舎

 「長官山」と呼ばれる田戸台の丘の上に建つ海上自衛隊田戸台分庁舎は、横須賀鎮守府司令長官官舎として1913年(大正2年)に竣工した、平屋建て洋館と2階建て和館の接合した住宅です。旧海軍司令長官34代、終戦後は9人の在日米海軍司令官の官邸として使われ、1969年(昭和44年)に防衛庁に移管されました。今年は4月1日から5日まで一般公開されています。掲載写真は今から30年以上前に撮った雪景色の長官邸です。その後何度か改修され、現在は外壁にレンガタイル、チューダーアーチにはサッシがはめ込まれ、内部も改装されていますが、建築的、歴史的に貴重な横須賀の財産の一つであることに変わりありません。

 

2016年5月

   廃止となった半原水源地沈殿池

 半原水道の水は、中津川右岸の山裾をくり抜いた取水口から、約500メートル先に4池ある沈殿池を経由して逸見浄水場へ送られていました。廃止になるまで大正時代の施設・設備も多く稼働していました。現在、沈殿池は空の状態でコンクリートの底が見えます。側壁はコンクリートブロック造で、19331934年(昭和8~9年)ごろ水需要が増えたため沈殿池周囲の壁を1メートル嵩上げしました。上部の黒く見える部分がそれです。向かい側にフロート、オーバーフロー管が見えます。愛川町ではこれら施設の利活用を考えているようです。横須賀市としても7市1町に関わった近代遺産の活用が考えられないでしょうか。

 

2016年6月

  米が浜≪料亭小松≫

 海軍料亭として知られた≪小松≫は、1885年(明治18年)に田戸で開業、その後、1923年(大正12年)に米が浜に新築移転しました。その時の建物は写真右側に屋根の部分が見える旧館で大工棟梁は小笠原兼吉、現在はマンションに建て替えられています。写真左の大広間のあった新館は1934年(昭和9年)竣工の木造大建築で、大工棟梁は藤井寅吉。大広間には6坪の舞台、中央には桐と鳳凰の二重欄間、折り上げ格天井に紫檀の床柱が堂々とした構えでお客さんを迎えていました。2016年(平成28年)5月16日夕方、休業日で無人の建物から出火、炎と黒煙に包まれ無残にも灰燼と帰してしまいました。横須賀の歴史の1ページが閉じられたと感じました。 

 

2016年7月

  三春町の旧・横須賀市救急医療センター

 横須賀市救急医療センターは、田戸台にあった旧横須賀市医師会館内に1977年(昭和52年)に開設されたのが最初でした。1980年(昭和55年)4月1日に三春町の国道沿いに新築移転、夜間・休日などの急患の診療に当たってきました。2005年(平成17年)からは指定管理者制度により横須賀市から(社)横須賀市医師会が管理運営に当たっています。2014年(平成26年)4月1日、新港町に新築移転し、内科、小児科、外科の夜間などの急患に対応しています。三春町の旧施設は、2016年(平成28年)5月に建物が解体され、現在更地になっています。

 

2016年8月

  旧横須賀重砲兵連隊営門

 現在坂本中学、桜小学校の校門として残るレンガの門柱と塀は、横須賀重砲兵連隊の前身である重砲兵第一・第二連隊の正門として1907年(明治40年)に竣工した横須賀に残る数少ない明治時代の建造物であり、市民文化資産に指定されています。上町方面には陸軍施設が多く、終戦後は兵舎などを新制中学の校舎に転用、多くの子どもたちの学び舎となりました。坂本中学と隣接して不入斗中学もあります。

 

2016年9月

  市立万代会館

 津久井の市立万代会館は、経済界で活躍し、青山学院理事長、校友会長などを歴任した万代順四郎(18831959)氏が、トミ夫人の保養のため1937年(昭和12年)に購入した別荘でした。順四郎氏亡き後もここで暮らしたトミ夫人は1978年(昭和53年)永眠。夫人の遺志により土地・建物・維持保存のための有価証券とともに横須賀市に遺贈され、市立万代会館として市民に開放されています。施設適正化計画では老朽化のため廃止が検討されていますが、保存活用を願う声が上がっています。10月1日「湘南邸園文化祭 横須賀の茅葺民家万代会館で過ごす」を開催します。皆様のご参加をお待ちしています。

  

2016年10月

  横須賀上町商店街の看板建築

 関東大震災の復興期に建てられた看板建築と呼ばれる商店建築が多く見られるのが上町商店街です。震災後、防火目的で建物前面を銅板やモルタルなどを使い、ビルの様に立ち上げ、装飾的に仕上げたモダンな商店建築を看板建築と呼んでいます。2軒の看板建築が並んでいますが、2階を見ると、左側の建物には両側に戸袋があり、右側の建物には縦長の上げ下げ窓があります。左側は和風、右は洋風のデザインが取り入れられていることがわかります。

 

2016年11月

 築110年の石渡文右衛門邸

 三春町の奥まった一角に1907年(明治40年)に建てられた文右衛門家があります。文右衛門家は代々名主を務める網元だったそうですが、この家を建てた明治のころには海軍工廠へ行っていたとのことです。大黒柱と恵比寿柱、小舞壁を中心に座敷が配されています。書院造の座敷などほとんど建築当時のままですが、繊細な組子障子には保護のためガラスを嵌め込むなど、家の隅々まで建物を大切に伝え、住まわれている様子がうかがえます。樹齢300年以上という黒松は昇龍の姿で家を守っているようでした。

 

2016年12月  

 元海軍大将 井上成美の住居跡

 横須賀市長井、荒崎海岸を眼下にした台地に≪最後の海軍大将≫と言われた井上成美が最後まで暮らした住宅があります。探偵団が初めて訪れたのは1993年(平成5年)のことで、相模湾に面した日当たりのよい海側に居間、応接間、寝室があり庭には大きなソテツが植えられていました。建物は、1934年(昭和9年)に建てられたイギリスの田舎風赤レンガ葺き平屋建てで暖炉が2か所、玄関には≪INOUE≫彫られた楕円形で真鍮の小さなプレートが付いていました。その後さまざまな変遷があり、現在は無人で建物の外観はすっかり変わっていますが、井上を語る証人となっています。(関連情報 建築探偵のアングル112

 

2017年1月

   田戸の赤門と道標

表紙2017年1月 田戸の赤門と道標 聖徳寺坂下に横須賀市民文化資産に指定されている長屋門があります。≪田戸の赤門として親しまれている木造瓦葺の寄棟造り、この辺りでは珍しいなまこ壁の腰壁で、間口8間、奥行き2間の堂々とした姿は今でも田戸のランドマークです。戦国時代は小田原北条氏に仕えた浜代官、江戸時代には三浦郡の総名主を務めた永嶋家の門です。中央の赤く塗られた門扉はケヤキ材で江戸時代のもの、他の部分は何度か手を入れてあるとのことです。赤門へ向かって右角に≪公郷村之内大田津 右大津・浦賀道 左横須賀・金沢道≫と刻まれた石造円柱形の道標があり、永嶋家に沿った細道が昔の浜道でした。

 

2017年2月

 東中里町内会館

表紙20017年2月 東中里町内会館

 町内会館の建物は地域によって様々ですが、うわまち病院近くにある東中里町内会館は洋風デザインを基調としたファサードが特徴で、探偵団で訪れた町内会館では市内唯一と言えます。室内は2階に大広間がある和風の造りで、1932年(昭和7年)に建てられました。水平ラインを強調したシンメトリーの構成、モダンな建物の多い上町らしい町内会館です。東日本大震災後、地域での助け合いの大切さが再認識され、コミュニティーの中心的役割の町内会や自治会活動が見直されてきました。 

2017年3月

   立川紙店

 汐入駅前ロータリーの商店街に、ひときわ目を引く大きな切妻屋根と蔵のある「立川紙店」がありましたが、この2月に特徴ある姿を消しました。立川紙店は藤沢出身の立川安五郎が1872年(明治5)年に湊町、現在のヴェルニー公園あたりで創業、一帯が軍用地となった明治20年代半ば以降に汐入に新築移転、防火のため蔵を造りました。当初は漁網・漁具・たばこ・麻なども販売していたそうです。若松町の川島紙店も同時期に湊町で創業、材木商を兼ねていました 。

 

2017年4月  

 田中屋呉服店

 田中屋呉服店は若松町3丁目、米が浜通りへの角にあります。創業100年近くになる老舗で、初代は滋賀県彦根出身の梅吉さん。この場所へは関東大震災後に移ってきたそうです。建物は昭和初期に見られる特徴的なデザインが施された看板建築で畳敷きの売り場、大きなショウウインドウには季節に応じた品物が展示されていました。現在、建て替え中

で、12月末ごろには新装開店するそうです。

2017年5月

 横須賀の看板建築

 看板建築と呼ばれる商店建築は、1975年(昭和50年)に藤森照信東大教授が学会で発表し名づけられました。以前は銅板張りとか額縁の家などとも言われていたそうです。1923年(大正12年)の関東大震災後から昭和初期にかけて防火の必要から建物前面に銅板やタイル張り、モルタル塗装などに装飾的な細工を施したりして建てられました。横須賀では下町、上町、田浦などに多く見られました。写真の建物は本町の三河屋さんです。因みに大火にみまわれた街でも昭和初期には看板建築が多く建てられています。

2017年6月

  JR横須賀駅

 階段のない駅として知られるJR横須賀駅は1889年(明治22年)6月16日に開業しました。現在の駅舎は1940年(昭和15年)に新築されたものですが、1914年(大正3年)の改築当時の面影を伝える駅舎と言われています。正面の丸いかもめマークの所には時計が嵌め込まれていました。駅舎右手からは乗車券を呈示して手荷物を託送するチッキの窓口がありましたが1986年(昭和61年)、制度が廃止されました。ヴェルニー公園ができる前には海軍工廠への引き込み線路が残っていました。コンコース、ホームなどに昔の様子が見られます。

2017年7月

 洋館付き住宅

2017年7月 洋館付き住宅

 ドブ板通りの山側、横須賀幼稚園手前に建つ個人住宅です。急勾配で緑色の洋瓦が美しい洋館付き住宅です。1936年(昭和11年)建築で、国府津の宮大工夏目猶吉が泊まり込みで建てたということです。外壁のスクラッチタイル、色ガラス入りの上げ下げ窓も当時のままで、主屋の和館の瓦も重厚で全体に安定感が感じられます。海軍水交社御用時代から現在まで、移り変わりゆく街の様子を語る建物です。 

2017年8月

 猿島の発電施設

 猿島に上陸してまず目につくレンガ造の建物は、電気燈機関室として1893年(明治26年)から1895年(明治28年)に建設されたもので、島の上部にある電燈所(照明所)の照明用発電を行っていました。内部は右側に発電機室、左は汽潅室で、石炭庫があり、そばに地下水槽があります。機械室の奥には一時宿泊用の小部屋がありました。煙道を通った煙はレンガ積み煙突へ送られます。積みかたはイギリス積み(オランダ積み)で、明治期のレンガ建造物として貴重な歴史・文化遺産です。 

2017年9月

 昭和を伝えるイタリアン

 京急逸見駅にほど近い商店街にあるイタメシパッポーナは、昨年6月にオープンしたイタリアンレストランです。建物は昭和初期建築と思われる看板建築で、以前は牛乳屋さんでした。アーケードの上には装飾的なファサードが向かいの歩道から見えます。33年間の料理人キャリアに終止符を打って2年半後、偶然通りかかったこの建物は今まさに解体作業中。一瞬にしてほれ込んだマスターはもう一度お店を開くことになりました。入り口ガラス戸、ひびの入った土間、大型冷蔵庫あとはそのままに、引き違い窓は厨房の食器戸棚、2階への階段踏板はカウンターの腰板にと元の建物を引き継いで復活した建物も喜んでいるようです。

2017年10月

 保存活用が決まった万代会館

 施設適正化計画で廃止となっていた市立万代会館の存続がこの2月に決まりました。今後どのように運営されるのかははっきり決まっていませんが、まずは基礎調査を行い、建物のゆがみや不具合を洗い出して修理や補修などを行い、活用方法を決めていくことになります。探偵団は1014日湘南邸園文化祭の一環として今年も≪横須賀の茅葺民家 万代会館を寿ぐ≫を開催します。保存が決まったことを祝い、市指定無形文化財≪佐島の御舟唄≫の皆さんにもご参加いただきます。皆様にご参加いただきご意見をお寄せいただければ幸いです。

2017年11月

  JR横須賀駅コンコース

 今年の6月に掲載したJR横須賀駅の再登場です。1940年(昭和15年)に建築され、それ以降、部分改修は行われましたが建築当時の姿を伝えているとされてきました。階段のない駅として何気なく通過するコンコースの天井板がこの10月にはずされ、屋根を支えるトラスが登場しました。がっちりしたトラスは軍港駅の駅舎としての堅牢さを物語っています。塗装と耐震補強を施したそうで、今後はレトロな街の入り口として利用客の目を楽しませてくれます。  

2017年12月

    国登録有形文化財横須賀上町教会

2017年12月 国登録有形文化財横須賀上町教会

 2003年(平成15年)に文化財登録された上町教会は1931年(昭和6年)に建築されました。下見板張りの外観にとんがりアーチの窓が並んだシンプルな教会は、モダンな街並みの上町を語る建物でもあります。左側の2階建て牧師館部分は建築当初は平屋でした。礼拝堂は当時のままの姿でめぐみ幼稚園の園舎としても使われています。このほど耐震補強も含め2階建て部分を改修することになりました。24日にはどなたでも参加できるクリスマスキャンドル礼拝が行われます。

2018年1月     

 汐入商店街の看板建築

 汐入商店街は戦前から海軍工廠への通勤路として賑わっていました。朝晩は工廠へ通う職工の下駄の音で話も聞こえないぐらいだったとのこと。震災後の道路整備に合わせ、看板建築や出し桁の商店が建てられ、現在も当時を知る建物を見ることが出来ます。写真のクリーニング店は紺屋(こうや・染物屋)として1933年(昭和8年)に建築され、終戦後からクリーニング店になったそうです。建築は地元の大工さんで、竣工記念に設えてくれたという立派な神棚が今も商売繁盛と家族の健康を見守っています。 

2018年2月

 長岡半太郎記念館・若山牧水資料館

2018年2月 長岡半太郎記念館・若山牧水資料館

 世界的物理学者で第1回文化勲章受章者の長岡半太郎博士が、子息の家庭教師だった森崎盛之助の紹介でこの場所に土地と茅葺農家を購入し、別荘としたのは1910年(明治43年)。風光明媚なこの地で亡くなる1950年(昭和25年)まで過ごしました。1981年(昭和56年)、博士の業績を顕彰するため京浜急行が茅葺民家風の記念館を建て横須賀市へ寄贈したのが現在の記念館・資料館です。室内には元の建物の大黒柱が展示されています。保養や療養に適した下浦には明治の初めから著名人が多く逗留しています。トミ夫人の保養のために万代順四郎が津久井に住んだことも、現在医療施設が多いことも下浦の恵と言えましょう。 

2018年3月

 千代ケ崎砲台跡

2018年3月 千代ケ崎砲台

 首都の玄関口の守りとして観音崎砲台、猿島砲台に次いで江戸時代の平根山台場跡を中心に建設されたのが西浦賀の千代ケ崎砲台です。このたび第3砲座跡と左翼観測所跡が発掘調査され、砲床下部構造などが公開されました。構造自体がしっかり残っているのは貴重であるとして国指定史跡となり現状保存されるそうです。弾薬庫などには小菅集治監のレンガ、砲床には真鶴の新小松石、擁壁には房州石、塁道側溝には御影石も一部使われています。人力で築かれた砲台は各地での石切り、レンガ焼成運搬、建設など壮大な国策事業が展開された様子が想像できます。

 

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