建築探偵のアングル

アングル145

カフェUOSA  入口
カフェUOSA 入口

~古民家活用~

 

  汐入駅から坂本方面へ3分ほどのところを右折、4軒目ぐらいの角に「CaféUOSA」と小さな看板のあるカフェがあります。店名のUOSAはこの建物が昭和3年に建てられた「魚佐」という屋号の魚屋さんだったことに由来します。海軍工廠で働く人や軍人が多く住んだ戦前から終戦前後には、多くの魚屋さんの2階は結婚式や宴会場として使われていました。魚佐の2階も手摺のついた階段が2か所あり、大きな窓のある明るい広間です。現在カフェとして利用しているのは店舗と居間の部分。営業は土・日の13時から17時ごろまでですがアットホームな中で講座やコンサートも開催されています。建物を大切にとのオーナーの願いのこもったカフエとなっています。

 この辺りからさらに奥の汐入5丁目、200段階段の上に建築家、公務員などのグループが空き家を改修した「みんなでつくる山の家」があります。近所のお年寄りの集う場所でもあり、時には落語会やコンサートも行っています。

   このほかにも最近空き家活用のニュースを耳にしますが、長く維持してほしいものです。押入れ・床の間・濡れ縁・廊下なども少なくなってきたと感じます。(2018.04.15

 

  

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アングル144

染井の蔵
染井の蔵

 ~ソメイヨシノの里駒込染井の蔵~

 

 オオシマザクラとエドヒガンザクラの交配種と言われるソメイヨシノは、幕末の染井村が発祥とのことで≪染井よしの桜の里公園≫はじめ小学校や社寺、霊園など桜のトンネルを含めてあちこちにソメイヨシノが咲き誇っていました。シダレザクラで知られる六義園は柳沢吉保から岩崎弥太郎の所有を経て東京市に寄付されて一般公開となりましたが、染井村辺りは大名屋敷が多かったため大規模な植木屋が多数あったそうです。その一軒が「門と蔵のある広場」として提供されている丹羽茂右ヱ門家の屋敷跡の一角で、2009年(平成21年)開園しました。広場には旧藤堂家下屋敷から移築された腕木門と1936年(昭和11年)築の鉄筋コンクリート造2階建ての蔵があります。蔵の出入口鉄扉内側に五三の桐の家紋、扉上部と柱には大理石が張られ床は檜。梁などに当時流行った洋風の意匠が用いられています。外壁はモルタル下地に砕石粒洗い出し仕上げ。外壁は腰巻、水切り、雨押さえ、窓庇など丁寧な仕事ぶりが際立ちます。建築当時の流行意匠が伝わる建物です。2008年(平成20年)国登録文化財に登録され、地元ボランティアにより展示などの際に公開されています。(2018.04.02

 

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アングル143

国登録の中島酒造所明治18年建築、奥座敷は天保年間築
国登録の中島酒造所明治18年建築、奥座敷は天保年間築

~佐賀県鹿島市の伝建地区~

  

有明海にそそぐ浜川の右岸に浜庄津町浜金谷町、左岸に浜中町八本木宿の二地域がそれぞれ伝建地区に指定されており、一帯が肥前浜宿界隈として町並み保存と観光に取り組んでいます。右岸地区は港町であり商工業の街としても賑わっていたそうです。左岸地区は長崎街道の脇街道であった多良海道に沿って江戸時代から酒造業が盛んだったそうでそれぞれに特徴ある建物が建ち並んでいます。左岸地区には現在も酒造通りと名付けられるようにいくつもの酒造蔵があり、国登録文化財の建物も6棟ありいずれも堂々とした佇まいで見学できるところもあります。

 「100年後の子ども達に残そうこのまちを」と、肥前浜宿まちづくり協議会により、まちづくり憲章が定められ「浜宿独特の歴史と生活文化にあふれた活力のある町の実現」に向けて活動しています。またNPO法人肥前浜宿水とまちなみの会では伝建地区指定10周年にあたる2016年に≪まちなみ保存と醸造文化の継承≫を日本ユネスコ協会連盟へ未来遺産登録するなど、まち全体で自分たちのまちを大切にとの思いが伝わる地域でした。(2018.03.20

 

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アングル142

旧香港上海銀行長崎支店
旧香港上海銀行長崎支店

~旧香港上海銀行長崎支店~

 

  長崎のグラバー園から見下ろす港、松が枝町に重厚な建物がありました。国指定重要文化財の旧香港上海銀行長崎支店で、下田菊太郎設計で1904年(明治37年)に竣工、1931年(昭和6年)に長崎支店が閉鎖後、警察署や資料館となっていました。その後取り壊しが計画されましたが、市民の保存要望を受け、解体的保存修理を行い、2014年(平成26年)4月に「長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム」としてリニューアルオープン。1階は多目的ホールで、銀行時代そのままの大きなカウンターや暖炉、シャンデリアなどを見学でき、有料貸出もしています。かつては右隣に1898年(明治31年)開業の長崎ホテル、左側に日本海運業に貢献したウオーカー商会が、前面の海岸にはサンパン(小舟)が多数停泊し国際貿易港として賑わっており、香港上海銀行は在留外国人貿易商が主な取引先の特殊為替銀行でした。

   設計者の下田菊太郎は明治から昭和初期に活躍した鬼才建築家で帝冠様式の生みの親と言われていますが、現存するのはこの建物のみということです。長崎は洋館が多く、このあたりは賑やかな商港で、海は同じでも横須賀の軍港とはちょっと違う個性でした。(2018.03.01

 

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アングル141

日本遺産「針尾送信所」
日本遺産「針尾送信所」

~旧佐世保無線電信所(針尾送信所)~

  

 2015年度(平成27年度)に文化庁が創設した「日本遺産」。横須賀・呉・佐世保・舞鶴の4軍港都市が日本の近代化を支えたということで日本遺産に認定されました。

  太平洋戦争開戦を告げる「ニイタカヤマノボレ1208」を送信したとされる佐世保市の針尾送信所は1918年(大正7年)から1922年(同11年)にかけて建てられた旧海軍の送信施設で、巨大な3本の長波無線塔が一辺300メートルの正三角形状に建ち、中心に電信室があります。3本の塔はいずれも鉄筋コンクリート製で高さが136メートルあるところから「イサム君」と呼ばれているそうです。基底部は約30畳分、頂部は10畳分ぐらいの円錐形煙突状で頂部に赤色灯が付けられており、現在は半年ごとに電気屋さんが内部の鉄梯子を30分かけて上り、付け替えているそうです。

 2013年(平成25年)に国重要文化財に指定されたのをきっかけに保存会ができ見学が可能になりました。半地下式2階建ての電信室は敗戦まぢかに地階部分が埋められ屋上には砲弾除けの厚いコンクリート屋根が付けられました。今後建造当時の姿に戻す予定だそうです。(肝心の電波塔が大きすぎて写真に撮れませんでした。すみません。)(2018.02.15