建築探偵のアングル

アングル153

「木曽川対岸からの崖屋づくり、1階は道路の下」
「木曽川対岸からの崖屋づくり、1階は道路の下」

~木曽の崖屋づくり~

 

 江戸時代は中山道の宿として賑わった木曽福島には、江戸時代創業の老舗や1936年(昭和11年)に架けられた世界初鉄筋コンクリートローゼ桁橋(2002年土木学会推奨土木遺産)など街道沿いの町屋や水場、関所など以外にも時の流れを記憶する建造物があります。木曽川沿いのわずかな土地を利用して崖に沿うように建築された建物群を「崖屋づくり」と言うそうですが、崖に張り出した基礎の上に建っている3階建ての建物群です。御岳信仰の基地としても栄えた明治以降、車での交通量も増え、道路拡張による苦肉の策でもあったようです。崖屋の道路に面しているのは2階部分で商店、3階が居住スペース、下屋(したや)と呼ばれる1階は木曽川に張り出している地下室部分にあたり、トイレや浴室、物置になっています。木曽川の対岸からは建物の裏側を見ることになります。以前は汚水も垂れ流しで川も臭く通る人もいなかったとのことですが、近年、木曽川対岸から見た「ヶ」の風景が観光資源として見直されています。地元意識も変わりシンポジウムやイベントなど活用が広がっているそうです。

 観光資源は角度を変えるといろいろあることを知りました。(2018.08.15

 

 

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アングル152

旧庁舎を模したとされる御料館
旧庁舎を模したとされる御料館

~御料館(旧帝室林野局木曽支局庁舎)~

 

 御料館は長野県木曽町福島、中山道の宿場の風情が主流の街並みに建つ近代建築で、地域のランドマークともなっている建物です。木曽の山林が1889年(明治22年)、皇室の財産である御料林となり、1903年(明治36年)に宮内省御料局木曽支庁としてモダンな洋風庁舎が建てられましたが1927年(昭和2年)5月の木曽福島の大火により焼失。わずか6か月後の同年12月、旧庁舎を模した現庁舎が再建されました。設計には宮内省内匠寮の朝香宮邸(現庭園美術館)を設計した権堂要吉も関わっています。急なことで材料は輸入材が使われたということです。

 1947年(昭和22年)山林は国有林となり、庁舎は変遷を経て2004年(平成16年)閉鎖、解体の検討がされたとき有志が保存に立ち上がり『旧宮内省御料局木曽支庁建物保存をすすめる会』を発足、各地の視察、町民アンケートなどを行い3360人の署名を集め請願書を提出したことで、2010年(平成22年)、町が土地・建物を林野庁から買い取り、信濃伝統建築研究所の工事設計監理で復元。12年に町有形文化財に指定、14年から地域活動の場として開館しています。2018年5月に日本森林学会から『林業遺産』の指定を受けました。(2018.08.01

 

 

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アングル151

茅葺の下に杉皮の化粧屋根、その下に板屋根の三重構造の屋根
茅葺の下に杉皮の化粧屋根、その下に板屋根の三重構造の屋根

~京都の朝廷文化を伝える一条恵観(いちじょうえかん)山荘~

 

 鎌倉市浄明寺の一条恵観山荘は江戸初期の公卿・後陽成天皇の第九皇子であった一条恵観(1605年~1672年)が、1646年(正保3年)ごろに京都西賀茂の敷地内に建てた迎賓館の要素を兼ねた別荘で、当時の朝廷文化を伝える遺構として国指定重要文化財となっています。

   戦後は荒れた状態となっていたそうですが、周辺がゴルフ場開発されることになったとき、茶道界の方々が中心になり1959年(昭和34年)に鎌倉へ移築されました。当時は今より少し駅側だったそうですが、1987年(昭和62年)、敷地800坪の現在地に30坪の建物、大名茶人・金森宗和好みの枯山水の庭園と共に創建当時の姿で再現されました。庭園を囲むように配された現代数寄屋建築は、この地へ移築後に吉田五十八の弟子の設計で建てられました。母屋に負けない繊細さが感じられる建物です。山を背にした滑川上流の澄んだ流れをとり入れた自然の庭にはモミジが多く植えられ紅葉の時期も素晴らしいそうです。

   2年前から月に数日間一般公開されており、申し込み制で解説付きの室内見学ができます。武家文化の鎌倉にあって朝廷文化を感じる山荘です。(2018.07.15