建築探偵のアングル

アングル173

印象的なレンガ造の四高記念館
印象的なレンガ造の四高記念館

~「学都」金沢の誇り旧第四高等中学校本館~

 

   石川県金沢市は加賀100万石の城下町として知られる人気の観光地です。香林坊や片町といった繁華街に近い「いしかわ四高記念公園」に建つひときわ目立つレンガの建物が「石川四高記念館・石川近代文学館」です。1887年(明治20年)に第四高等中学校として設立され1894年(明治27年)に第四高等学校に改称した略称「四高」の本館建物です。設計は文部技師の山口半六と久留正道で、1889年(明治22年)6月に起工し2年後に竣工しています。レンガ造2階建て、桟瓦葺き、正面玄関を中心としたシンメトリーの寄棟づくりで、外観の特徴は腰回り軒回り、2階窓アーチに釉薬レンガや白レンガを使い、赤レンガの壁面に単調さを感じさせないデザイン効果が見られるところです。近代日本の高等教育機関の黎明を伝える数少ない建造物として貴重である、ということで1964年(昭和44年)に国重要文化財に指定されています。

   四高は1950年(昭和25年)の学制改革により金沢大学となり、現存する本館は理学部として使用されたのち金沢地方裁判所、石川県立郷土資料館などを経て2008年(平成20年)に学びとふれあいの複合文化スペース「石川四高記念文化交流館」として開館しました。入場無料の記念館には休憩室・歴史資料展示室があり、有料で利用できる多目的室も人気です。金沢の誇りと文化を感じる建物でした。(2019.06.15

 

 

**********

アングル172

被服廠あと横網町公園に建つ記念館
被服廠あと横網町公園に建つ記念館

~東京都復興記念館~

 

 両国駅から10分ほどのところにある墨田区横網町公園には1930年(昭和5年)に建てられた東京都慰霊堂がありその近くにあるのが東京都復興記念館で、1931年(昭和6年)8月18日に開館しています。どちらも伊東忠太が設計にかかわった東京の歴史を伝える建物です。記念館は鉄筋コンクリート2階建て、関東大震災と東京大空襲からの復興を記念し、約1000点の遺品、絵画などが展示され、無料で見学できます。1999年(平成11年)には東京都選定歴史的建造物に選定されました。この公園はもと陸軍被服廠があったところで、関東大震災の時に避難した多くの人が亡くなりました。

 山形県米沢に医師の次男として生まれた伊東忠太(18671954)は、明治末から昭和初期まで日本を代表するような建築を数多く手がけています。探偵団の研修ツアーで有形無形の動物彫刻が隠された築地本願寺(国指定重要文化財)と慰霊堂・記念館、最後に鶴見の総持寺に忠太の墓を訪ねました。大谷石で築かれたドーム型の墓は細工しやすい柔らかな石のためか風化が進んでいるように見受けられました。

 忠太は1943年(昭和18年)、第1回文化勲章を建築学で受章、同じ時に物理学では北下浦に長く暮らし、記念館のある長岡半太郎が受章しています。(「まちの記憶」2018年2月に関連記事)(2019.06.01

 

 

**********

アングル171

東西南北と日本語で表示された風見鶏のある誠之堂
東西南北と日本語で表示された風見鶏のある誠之堂

~渋沢栄一ゆかりの誠之堂~

 

 埼玉県深谷市にある「誠之堂」は、渋沢栄一の喜寿を記念して第一銀行の行員たちの寄付により1916年(大正5年)に東京の世田谷区瀬田に建てられました。1999年(平成11年)に生まれ故郷である深谷市に移築されました。移築建物では初めて2003年(平成15)年に国重要文化財に指定されました。建物の設計者は田辺淳吉、施工は清水組。設計にあたって「西洋風田舎家」との条件が付けられたそうですが、外観は英国風田舎家、室内の装飾は中国、朝鮮、日本など東洋的意匠がバランスよく取り入れられています。屋根材は宮城県雄勝の硯石が使われ、シンメトリーを意識するためベランダ側の屋根中央に飾りとしての小屋根が張り出しています。森谷延雄のデザインによる大広間のステンドグラスは中国風の宴会の様子を表したもので、貴人と侍者、歌舞奏者から厨房の人などがかわいらしく表現されており部屋を訪れた人をもてなしているようです。

   レンガ造建物の移築は日本では初めてのことで、深谷市では移築保存検討委員会を設置、レンガ壁をなるべく大きく切断し、移築先で組みなおす「大ばらし」という工法で行うことになりました。2年間の解体・復元工事を経て移築復元は完成しました。ひし形模様の浮き出るレンガ壁をよく見ると壁面につなぎ目が見えます。(2019.05.15