建築探偵のアングル

アングル289

「岸田家と屋根神様」 
「岸田家と屋根神様」 

岸田家住宅と屋根神様~

 

 愛知県小牧市の小牧山には1563年(永禄6年)織田信長が権威を誇示する目的もあったと考えられる標高86メートルの小山に石垣の城を築きました。現在、発掘調査・復元が進められている国指定史跡で、市民の憩いの場ともなっています。調査では石積みや排水、地山の活かし方など信長の土木技術に対する見識の高さが再確認されたとのことです。

 小牧宿は名古屋と中山道を結ぶ木曽街道沿いにつくられた宿場町です。街道の特徴は大きな川がない、街道は枡形が多く2間巾であるということ。小牧市指定有形民俗文化財の岸田家住宅は木曽街道・上街道(うわかいどう)の旧小牧宿の下之町にあり、脇本陣の役目をしていました。200年ほど前に建てられた町家で、たびたびの大火にも焼け残った建物です。平成14年に修理事業が完成し幕末のころの姿に復元されました。

    岸田家の屋根に見られる屋根神様は火事を防ぐ「秋葉神社」のお札を入れた祠で、小牧宿が江戸年間にまちを焼き尽くす大火に何度もみまわれたため防火を願って祀ってきた神様です。今でも街道筋の旧家の屋根に9基が祀られています。屋根神様は春秋の祭りのときにはきれいに飾られ、秋葉祭には山車からくりが奉納されます。枡形道の先、戒蔵院の火伏観音は、水瓶の水で火難を防ぐとされ、宿場全体の防火意識の高さが今に伝わっています。(2024.04.15

 

 

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アングル288

綱吉が「大成殿」と名付けた孔子廟 
綱吉が「大成殿」と名付けた孔子廟 

湯島聖堂・大成殿~ (国の史跡)

 

御茶ノ水駅聖橋口から聖橋を渡った右手にある湯島聖堂。その起源は徳川綱吉が儒学振興のため、上野忍ヶ岡の儒学者・林羅山の孔子廟と家塾を、1690年(元禄3年)に湯島に聖堂を造り移転したもの。内部には孔子のほか、孟子、曾子、顔子、子思の高弟四賢像を祀る。その後、ここに幕府直轄学校として「昌平坂学問所」(昌平黌=しょうへいこう、黌は学校の意)が開設されます(現在の湯島聖堂よりも広く、現・東京医科歯科大学の校地にまで及ぶ)。この学問所は、孔子の諸説、儒学を教える学校で、「昌平」は孔子が生まれた郷村の名から。正門前の神田川沿いの坂を昌平坂といいます。明治維新となり、学問所跡には開成所、医学所などができ後の東京大学につながりますし、東京高等師範学校(後の東京教育大学・筑波大学)や、東京女子師範学校(後のお茶の水女子大学)が開校しています。1922(大正11年)に聖堂は国の史跡に指定。

 現・湯島聖堂は、関東大震災で入徳門と水屋以外すべて焼失後、1935年(昭和10年)に伊東忠太博士の設計により鉄筋コンクリート造で再建されたもの。忠太特有の霊獣が飾られ、同時期の各門や斯文会館などにも霊獣が見られます。大成殿は孔子廟で、毎年4月には孔子および儒教における先哲を先師・先聖として祀る儀式、釈奠(せきてん)が行われています。大成殿内部は土日祝日のみ公開。本号は〔伊東忠太シリーズ〕で、アングル276号より毎月1日号に続く  (2024.04.01.HK)

 

 

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アングル287

~小田原駅前「寿庵」~

 

 小田原駅東口から徒歩2分、1920年(大正9年)に小田原駅開業と同時に開店した蕎麦店「寿庵」があります。再開発で変化した駅前に、創業時のままの歴史を伝える店構え、日本橋から9つ目の東海道小田原宿の「今、昔」を伝えています。「九つ目の宿場」をメニューに活かした「宿場そば」は九つの器にそれぞれ違う具をトッピングした看板メニュー。建物はほとんど建築当初のまま。2階に上がると廊下を挟んで大広間、小座敷があり、大広間には一間の床の間に「寿庵」と大きく書かれた掛け軸が御客を迎えます。店内の造りは畳敷きの座敷がテーブル席に、帳場が自動払い機になったほかは階段の親柱の彫刻、間仕切りの柱なども建築当初から変わらず、周辺のビル化などで窓からの眺めは変化していますが寿庵の建物は大正時代からほとんど変わらないそうです。

   まちのシンボルは小田原城。かつては動物園や遊園地もありましたが、今は天守閣が高さ制限の基準になって景観が守られているそうです。駅ビルが整備され、大雄山線の駅舎が変更になったため旧駅舎管理事務所をカフェに活用。内部はそのままで駅長の事務机、大時計、ランプや帽子などをインテリアに。大雄山線の路線が9.6㌔であることに由来して『クロ』をメニューの柱に。竹炭とチョコレートで黒を表現したソフトクリームやプリンが人気。(2024.03.15

 

 

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アングル286

芭蕉の旅姿を表して建てられた俳聖殿
芭蕉の旅姿を表して建てられた俳聖殿

~伊賀上野の俳聖殿~(国指定の重要文化財)

 

三重県伊賀は、隣の滋賀県甲賀と共に忍者発祥の地、また伊賀越え仇討(「鍵屋の辻」荒木又右衛門ら)の地などで知られています。それ以上に誰もが知る松尾芭蕉(1644-1694)の生誕地です。芭蕉生誕300年を記念して1942(昭和17)に俳聖殿が建てられています。東京帝国大学、建築家・伊東忠太博士による設計ですが、その外観は芭蕉翁の旅姿を模したとされる類例のない造形が特徴です。上層の檜皮葺丸屋根は旅笠を表し、下部(木額部分)が顔、下層の八角形の庇は蓑と衣を着た姿、堂は脚部、回廊の柱は杖と脚を表わしているとされます。2010年(平成22年)には国の重要文化財に指定されています。上野公園内に、この俳聖殿と伊賀上野城(1935)が建立されたのは、篤志家・政治家の川崎克の旗振りが大きい。

   なお、芭蕉は大阪で没していますが、その墓地は近江大津の義仲寺に。芭蕉の命日10月12には古くからこの地で芭蕉祭が開催され、俳句に関する諸行事のほか、俳聖殿内の芭蕉像(彫刻家・長谷川栄作原型で、伊賀焼)が公開されます。 ~旅に病んで夢は枯野をかけめぐる~ 芭蕉は各地を旅して「おくのほそ道」「野ざらし紀行」などを残した漂泊の詩人で、日本各地に記念館や句碑が建っています。芭蕉はこうして俳句を日本文学の一つにした偉人、まさに俳聖です。そして俳句は今日では世界各地に広がっています。(本号は〔伊東忠太シリーズ〕として、アングル276号=2023.10.01.より毎月1日号に継続中)。(2024.03.01.HK)

 

 

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アングル285

~山口蓬春記念館~

 

 葉山町の蓬春記念館は背後に三ケ丘、前には葉山の海、静かな住宅街の一角にあります。山口蓬春(18931971)は文化勲章受章者で皇居新宮殿に杉戸絵「楓」を描いた日本画家として知られています。記念館の建物は昭和初期に建てられ戦時中は会社の寮になっていたところを1948年(昭和23年)に建築家吉田五十八の推薦で購入し、アトリエ兼住宅としました。山口と吉田は東京美術学校(現東京芸大)の同窓生で、共に8年間の学生時代を過ごした親友でした。昭和28年に吉田五十八の設計で画室、同32年に茶の間と桔梗の間を増築。令和5年その画室と母屋が国登録有形文化財として登録されました。吉田五十八(18941974)は日本独自の建築様式である数寄屋造りに近代性を持たせた近代数寄屋の第一人者で、蓬春記念館画室は寄せ木細工の床、画材収納の大壁の扉、窓際の長椅子、庭に面した大きなガラス戸などが調和した静な佇まいです。五十八は1964年(昭和34年)、伊東忠太に次いで建築家として二人目となる文化勲章受章者です。蓬春の没後、平成2年に山口家から土地建物と所蔵作品を遺贈された財団法人JR東海生涯学習財団(現公益財団法人JR東海生涯学習財団)が平成3年10月山口蓬春記念館として開館しました。

 蓬春の墓は五十八の設計で鎌倉霊園の高台に、吉田は多磨霊園に眠っています。(2024.02.15

 

 

 

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アングル284

落ち着いた風格ある東京都慰霊堂 
落ち着いた風格ある東京都慰霊堂 

~東京都慰霊堂~ 東京都歴史的建造物

 

 両国駅の北側には明治時代に約2万坪の陸軍被服廠がありましたが、1919年(大正8年)に赤羽台に移転、更地に。1922年にこれを分割譲渡し、東京市は約6,000坪を横網町公園用地に取得。翌1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の際に、この被服廠跡地に市民が多数押し寄せましたが、火災旋風が生じ38000もが死亡(東京市全体の1/3以上にあたる)。震災後にはバラックが建ち並び、10月には市内各所からの遺骨安置のため仮納骨堂も建ちました。

東京震災記念事業協会は記念堂を計画、公開コンペとして実施(220件の応募)、一等賞結果を公表。だが適切な建物ではないとの意見続出、とくに佛教聯合會からは厳しい設計批判の建議書まで出てきます。そこで協会は設計変更を決断、審査員でもあった建築界の大御所・伊東忠太らに新たに設計を依頼し、決着。1930年(昭和5年)「震災記念堂」完成、外観は旧来の神社仏閣様式の鉄筋コンクリート構造。中心の200坪の講堂は、身廊と左右の側廊との列柱による教会風バシリカ様式で、正面には祭壇を設け、天井も高くゆったりしています。その奥の供養塔三重塔)は、中国風様式で、その基部が納骨堂に。

その後、太平洋戦争時の空襲で死者も多く、これを合祀(震災、戦災合わせ約16万余の遺骨安置)、1951(昭和26)に「東京都慰霊堂」と改名。なお、慰霊堂の斜前に東京都復興記念館(アングル172号)があります(本号は〔伊東忠太シリーズ〕として、アングル276号=2023.10.01.より毎月1日号に継続中)。 (2024.02.01.HK)

 

 

 

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アングル283

箱根路の近代化の象徴「函嶺洞門」 
箱根路の近代化の象徴「函嶺洞門」 

~箱根路の象徴「函嶺洞門」~

 

 国道1号線、箱根駅伝でも知られる函嶺洞門は、関東大震災後の復旧のため道路を土砂災害から守る施設として箱根湯本の早川沿いに1931年(昭和6年)に竣工しました。長さ100.9m、巾6.3m鉄筋コンクリート造のトンネル状で、デザインは中国の王宮を模し、階段状の胸壁で表面は花崗岩とタイル、光を取り入れる柱形式から開通当時は開腹隧道と呼ばれたそうです。函嶺の名は中国河南省の関所「函谷関」に由来し、「箱根八里」の歌詞にもなっていて「箱根山」の異称とされています。工事中の昭和5年、北伊豆地震が起こり現場は土砂崩れ、落石の衝撃で5度傾いた箇所があり、そのズレの痕跡は今も残っています。早川にかかる旭橋、千歳橋、函嶺洞門は自動車交通に対応した箱根路近代化の象徴施設としての歴史的価値が認められ1952年(昭和27年)国重要文化財に指定、土木学会選奨土木遺産にもなっています。現在落石危険のため通行止めですが1月2日から8日までは公開されました。

   函嶺洞門から少し湯本寄りに「湯坂道入り口」の標識があります。鎌倉時代、源頼朝が箱根権現参詣のため開かれたと言われ、それまでの足柄道に対して箱根山を越える湯坂道は、湯本~湯坂山~浅間山~芦之湯~三島への近道。芦之湯から浅間山まではなだらかなコース。湯本近くは結構険しい道ですが湯坂道は今も人気のルートです。(2024.01.15

 

 

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アングル282

趣き深い禅宗風の堂宇の大僧堂 
趣き深い禅宗風の堂宇の大僧堂 

~總持寺の大僧堂~(国の登録有形文化財)  

 

横浜市鶴見の總持寺は、1911年(明治44年)に石川県能登から神奈川県に移転した曹洞宗大本山で、永平寺と並ぶ宗派の中心寺院です。その移転は、大火災で主要建造物を消失したためで「宗門百年の大計」として実現(旧寺は總持寺祖院となる)。鶴見では広大な敷地(面積約15万坪)で、主要な堂宇の大部分は20世紀前半(大正〜昭和戦前)の建立、本格的な木造建築で多くが国の登録文化財に。

その一つ大僧堂は、朝の座禅から開枕(就寝)まで、修業僧が座禅修行する大切な場です。入母屋造、銅板葺、堂内の壁際等には座禅用の畳敷の床を設けており、花頭窓など禅宗様式の建築細部となっており(非公開)、僧の生活の場である「衆寮」の南隣に建つ。1937年(昭和12年)に伊東忠太(1867-1954)の設計による建立、伊東は橿原神宮、平安神宮、築地本願寺など多くの寺社建築を遺す近代日本建築史上、特筆される建築家です。

なお、戦後に建立された大祖堂、三門などは鉄筋コンクリート造ですが、いずれにしても總持寺は大伽藍です。裏手には著名人達の墓地が広がり、伊東忠太の墓も、だが大谷石造りで荒れています。墓地で一番広いのは總持寺の鶴見移転に助力した、セメント王かつ京浜工業地帯の生みの親、浅野総一郎、浅野家の墓地域が占めています。別に、總持寺は傘下に学校法人總持学園(鶴見大学、同付属中学高校)を持ち、寺に隣接しています本号は、アングル276278280号に続く〔伊東忠太シリーズ〕)。 (2024.01.01.HK)

 

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アングル281

一番大きな肝煎りの家
一番大きな肝煎りの家

~南部曲り家・遠野ふるさと村~

 

 岩手県遠野市へのJR釜石線は本数が少なく花巻からの学生や旅行客で満員です。遠野駅から路線バスで25分《遠野ふるさと村》に着きます。曜日によってどこまで乗っても200円というバスの日があります。ふるさと村は平成3年から事業化され様々な建物を移築し遠野の昔ながらの山里を再現した野外博物館として平成8年に開園しました。主な建物のうち、宝暦12年の小昼(こびる)の家以外は曲り家で、村内で一番大きな江戸末期築の肝煎り(きもいり)の家など江戸末期から明治中期に建てられた曲り家のほか水車小屋や稲荷などが丘陵地に点在しています。南部曲り家は人と馬が一つ屋根の下に暮らす構造になっていて、人が生活する母屋(もや)と馬が生活する馬屋(まや・うまや)がL字状につながり一軒の家になっていることから「まがりや」と呼ばれます。この地方は馬の産地として知られ、家族として暮らす馬との生活が「おしらさま」を、自然に対する畏怖と敬意が守り伝えられ「河童」や「ざしきわらし」の民話が語り継がれてきたことでしょう。

 土間には大きなカマドがあり常に薪を焚いて湯を沸かし煙が茅屋根をいぶし、馬屋へ暖かい空気を循環させています。馬の放牧地が茅場になっているそうで、茅屋根職人も地元にいるとのこと、順番に屋根を葺き替えているそうです。名物はおいしい《どぶろく》。2023.12.15