建築探偵のアングル(バックナンバー 11~20)

その20

昭和館
昭和館

~三崎のまちを歩く~

 

 2003年(平成15年)に三浦市教育委員会の依頼で、主に近世・近代の三崎の建物調査を行いました。団員が手分けして152棟を訪ね、写真撮影、特徴や建築年など聞き取りを中心に調査しました。マグロのまちとして知られる三崎は、昔は火事が多く、防火のための蔵造りが多いのも特徴の一つです。商店街には関東大震災後の復興期に建てられた看板建築などの店舗も多く見られました。また、店蔵のほかにも倉庫としての蔵を店舗やスナックにしたり、花屋では、温度の変化が少ない店の奥の蔵に花を保管するなど蔵はいろいろに活用されていました。

10年の間に徐々にまちは変化しました。町の風景をつくっていたそれらの店は姿を消したものも多く、看板建築の装飾が傷んでいる姿が顕著になりました。

 レトロな三崎のまちに魅力を感じて、アンティークショップやギャラリー、レストランなど若い人たちが新しい風を吹き込んでいるというニュースを聞きます。調査当時、切手や印紙を扱っていた店蔵付き住宅が、昭和館としてチャツキラコなど資料の展示館となっています。海やマグロはもちろん、歴史や特徴を生かし、まちの資産を磨くことが魅力ある三崎のまちづくりにつながると思います。まち全体のアピールの仕方にも、工夫が必要と感じられました。(2012.12.17)

 

 

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その19

説明を聞く探偵団員
説明を聞く探偵団員

~川崎市立日本民家園を訪ねる~

 

 川崎市の文化ゾーン「生田緑地」にある日本民家園を元園長の案内で見学しました。日本民家園は、急速に消滅しつつある代表的古民家を、将来に残すことを目的に、1967年(昭和42年)に開園した野外博物館です。開園のきっかけは、川崎市麻生区の18世紀前期に建てられた入母屋造り萱葺の伊藤家を、横浜市の三渓園へ移築するということを知った研究者が、川崎市で保存することを提案、各方面の尽力でこの地への移築が実現したことです。市立でありながら「日本」と付けた民家園でしたが、開園当初は来園者が来ない日もあったそうです。

現在、主に東日本の古民家を中心に、国・県の重要文化財18を含む25の文化財建造物が、信越の村、関東の村、神奈川の村、東北の村とエリアごとに丘陵地に展示されています。運営母体は川崎市で、園内ではわら細工や藍染め等を行う「民具製作技術保存会」と、薪作り、囲炉裏での火焚きとガイドを担当する「炉端の会」が活動しています。

地域文化を伝える建物は、それを愛する人たちによってより有効に活用され、時代や心を受け継いで役割を果たしていきます。万代会館にもそうした役割が期待できるのではないでしょうか。(2012.11.30

 

 

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その18

文化興業(株)社屋
文化興業(株)社屋

~よこすか景観賞を歩く~

 

 横須賀市では、よこすかの景観づくりの推進に寄与している建築物や工作物、景観づくり活動を対象に「国際海の手文化都市よこすか景観賞」を設けています。選考は隔年行われ昨年で4回目を迎えました。建築探偵団は、横須賀上町教会の保存活動が評価され、第1回目に「景観づくり活動部門」で賞を受けました。受賞した建物や活動をもっと知っていただくことで、横須賀らしさの発見や、よりよい景観、街並みづくりのきっかけとなることを願って、探偵団は市街地整備景観課と共催し、「横須賀景観賞を歩く街めぐり」を10月31日に行いました。

 中央地区周辺の受賞建物を中心に街並みの移り変わりなどを見ながら歩きました。どぶ板通りから本町の萬菜本店、米が浜通りの文化興業株式会社、上町のみどり屋呉服店、田戸台の旧横須賀鎮守府長館官舎、上町の横須賀上町教会の順に巡りました。昨年受賞したのは国道16号に面した文化興業社屋で、1938年(昭和13年)建設、木骨モルタル2階建て。ライト調ともいわれる凹凸のはっきりした出窓や1階のおわん形窓、側面の丸窓と縦長窓など個性豊かな建物です。最後に訪れた上町教会では、教会オルガ二ストによるリードオルガンの演奏を聴かせていただきました。(2012.11.19)

 

 

 

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その17

~万代会館は数寄屋造り民家~

 

   松に囲まれた万代会館は、起伏のある芝生の庭と、今ではめったに見られない萱葺き屋根の建物です。萱葺き屋根と聞くと、どっしりした農家を想像しますが、万代会館は民家風数寄屋造りの住宅で、どちらかというと女性的なやさしい和風建物です。玄関を入り、靴脱石を上がると畳敷きの取次の間、それに続く広縁も当初は畳敷きだったようです。波打つような昔のガラスが陽の光を受けて周囲を囲んでいます。

 八畳松の間には駆け込み平書院の付いた床の間、櫛形欄間。サンルームの天井は杉皮に白樺の小丸太を竿縁に使った勾配天井で、次の十畳間には琵琶床、後に増築した奥の間には面皮柱が使われ、面取りされた竿縁天井、腰付き障子など随所に数寄屋風が伺えます。萱葺屋根は太陽の熱を防ぎ小屋裏が広いため夏は涼しいという特徴があります。豪華でも華美でもなく、保養のための静かな住まいで、万代ご夫妻の生活がしのばれます。

  市民のために寄贈されたこの建物を大切に維持し、文化、景観、まちづくり、国際交流など様々な横須賀の魅力を発信する場として、今以上の活用が期待されます。(2012.11.01)

 

 

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その16

万代会館の玄関
万代会館の玄関

~万代別荘は良質の水が決め手~

 

市立万代会館は、横須賀市津久井2-15-33、京急津久井浜駅から徒歩5分ほどの住宅街にあります。門を入ると、砂利を敷いた小道が玄関へ向って程良い曲線を描きます。季節に応じた木々の表情を眺めながら、ゆったりと落ち着いた気持ちになる、建物へのアプローチです。

順四郎夫妻がこの建物を買い求めたときの間数は八畳間がふた部屋(現在の松と竹の間)とお手伝いさん用の部屋で、応接間兼サンルームである洋間と、床の間付き十畳を増築したと考えられます。その後、奥の八畳を順四郎さんの兄の療養のために増築しています。趣のある萱ぶき屋根が三棟、京急の車窓からも望むことが出来ます。

別荘購入の条件は、トミ夫人の腸疾患療養のためということで、まず良い水があることでしたが、敷地内の井戸から汲み上げた水を一升瓶に入れ、東京の赤十字病院で検査したところ良質と分かり、ここに決めたということです。井戸の位置は、現在では隣家敷地内のようです。今では周辺一帯に住宅が建ち並んでいますが、1937年(昭和12年)ごろは庭から海も見渡せる小高い丘で、70年以上の松の大木が数本あったそうです。順四郎さんの甥の重則さんも津久井を訪ねたとき、松のところで写真を撮っています。今ある松は二代目ということです。(2012.10.13)

 

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その15

横山市長へ目録贈呈 万代重則さん提供
横山市長へ目録贈呈 万代重則さん提供

~万代順四郎と万代会館~

 

 9月6日から三日間、探偵団では北海道へ研修旅行に行きました。北海道弟子屈(てしかが)町にお住まいの、万代重則さんにお会いすることが主な目的でした。重則さんは、横須賀市津久井の万代会館の以前の持主である、万代順四郎さんの甥にあたる方です。

 万代順四郎さんは、戦前・戦後を通して三井銀行や帝国銀行など金融界、ソニーの前身である東京通信工業やトヨタ自動車ほか多くの会社の役員を歴任、青山学院の復興にも尽力するなど各方面で活躍した方です。順四郎さんの夫人トミさんの体が弱かったということで、保養のため1937年(昭和12年)に知人の紹介で横須賀の津久井に萱葺屋根の別荘を買い求めました。

 オゾンの多い津久井の別荘は、松林に囲まれた広い庭と、使いやすく工夫された造りで、欄間や取っ手など目立たないところにしゃれた意匠が施された数寄屋造りの建物です。庭に面したガラス戸から光がふんだんに差し込む明るい室内で、トミさんは健康を取り戻しました。順四郎さんが1959年(昭和34年)他界された後も、トミさんはここで暮らしました。1978年(昭和53年)トミさんが亡くなられた後、故人の遺志により翌年に土地・建物が維持費用の株券とともに横須賀市に遺贈され、1980年(昭和55年)4月から、万代会館と命名され市民の文化活動の場として利用されています。 (2012.09.26)

 

 

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その14

トロッコレール
トロッコレール

~横浜水道みちをゆく~

 

   近代水道発祥の地である横浜市では、近代水道創設125年を記念して、今年の夏休み期間中にクイズラリーを行いました。早速私たち探偵団はそのイヴェントに参加。真夏の日照りをものともせずに歩きました。指定コースの17キロはまだ走破していません。涼しくなったら続きを歩く予定です。

  横浜水道みちはトロッコみちとも呼ばれています。道筋にはところどころにトロッコみちの説明板が設置されています。それには「1887(明治20)年創設。津久井郡三井村(現・相模原市津久井町)の相模川から横浜村の野毛山浄水場(現・横浜市西区)まで、約44キロ。運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材を運ぶ運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用して水道管を敷設。横浜市民への給水と近代消防の一歩を共に歩んだ道」ということが全体の地図とともに記されています。

  今回のコースの始点はJR橋本駅からバスで20分ほどの古清水で、バス停から少し行くと、まさに水道みちといった真っ直ぐな道が走っています。地中は横浜市水道局の送水管が敷設され、地上は相模原市が緑道として表面管理し、サイクリングや通学路、健康器具やベンチも所々に配された公園になっています。

 半原から横須賀への海軍水道みちは、複数の自治体を通る特徴があります。水道みちによって自治体間のコミュニケーションを図るなど、活用が期待できるのではないでしょうか。

  クイズラリーの答えが全問正解で、トロッコレールを記念品に頂きました。(2012.09.13)

 

 

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その13

理髪店 すいどうみち(逗子)
理髪店 すいどうみち(逗子)

~水道みちの風景~

 

 半原水源地から落差70mを利用し、自然流下で逸見浄水場まで送られる海軍水道は、径500ミリの鋳鉄管で延長53キロ、その間の丘陵部にトンネル12か所、相模川など大小の河川に橋梁10か所余りが建設されました。現在は、水道専用、人道としても利用、車の通行が可能など、建設当時のままの構造物もあれば関東大震災後の復旧、その後の拡張などにより姿を変えながらも水道施設としての役割を果たしてきました。

半原系水道みちを辿ると、「水道みち」のネーミングは、公園、道路、交差点、バス停、カラオケ店や理髪店など様々な場面に登場します。特に愛川町では、海軍水道の説明の付いた標柱がいくつか建てられています。また、水道みちが通過する自治体には、生活道路としての役割を果たしている部分も多く、横須賀よりも「海軍水道みち」は認知度が高いように感じる部分もあります。勿論、好意的とばかりは言えません。海軍水道が通ったために不利益を被った人や、まちづくりに支障がある場合もあるようです。「愛川町の昔と今②」(神奈川ふだん記発行)に「40数年前は工場の女工さんたちの憩いの場、春は桜やつつじが咲き癒しの場であった」と貯水池の思い出を八木静枝さんは記しています。

海軍から横須賀市に移譲され、横須賀市民の水道となってからも便利な面、不便な面を引き継いだまま、道は真っ直ぐに横須賀を目指しています。(2012.08.29

 

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その12

半原水源地沈殿池と桜
半原水源地沈殿池と桜

~半原水源地~

 

 横須賀水道半原系は、2007年(平成19年)に休止となっています。以来5年間が過ぎ、取水は施設維持のため多少行われていますが、その水は横須賀には送られず中津川へ放流されています。沈殿池は緑色に濁りが見えますが、敷地内はきれいに整備され、桜の季節には山々に囲まれた周辺一帯は桃源郷のようです。

 明治から大正・昭和、更に平成19年に至るまで、日本の近代化、海軍力増強という国家的役割の一端を担い、戦後は横須賀市民の水道としてそれぞれの時代を精一杯働いた横須賀水道半原系。水源地内には、建設当時から動き続けた英国製ベンチュリーメーター、止水栓などの設備が今もそのままに見られます。
 2021年(平成33年)には100年となるこの長大な水道施設は、土木、建設、近代水道、更には軍事資料的価値が高いといえましょう。また、海軍水道建設が沿線地域へ与えた影響などを知ることで、横須賀の一面が捉えられるのではないでしょうか。休止から10年間使用されない場合は、水利権が消滅し、半原水源地の看板も消えることになります。100年間続いたということは、役目を終わったという見方と、新たな役割が生じるという見方があります。探偵団は後者の立場で、活用を考えていきたいと思います。

 この大工事は1912年(明治45年)に着工し、1918年(大正7年)に一部完成、1921年(同10)年8月23日に逸見配水池が完成したことで全施設が完成しました。工事実施の海軍技師のうち、石黒弘毅、前田興市、吉田直の三人は佐世保軍用水道の技術者でもありました。軍港水道の工事は上流側を前田、下流側を吉田が主任として担当しました。 (2012.08.16)

 

 

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その11

半原水源地取水口調整室
半原水源地取水口調整室

~取水口のある石小屋あたり~

 

  1935年(昭和10年)、現在の神奈川新聞社の前身である横浜貿易新報社が、読者の投票で神奈川県内の名勝史跡を選定するという企画を立てました。9月から1ヵ月間の期間で、総投票数00万票のうち28万余票を獲得した愛甲郡半原の中津川の渓流、石小屋が景勝1位になりました。その時建立された記念碑が、石小屋地区にある横須賀水道半原水源地取水口の対岸近くに建っています。石小屋と呼ばれるこのあたりが、昔から景勝地として知られる渓谷で良質な水が豊かに流れていた様子がうかがえます。この付近の清流で取水された水が、約1昼夜かけて横須賀市逸見浄水場へ送られていました。

  取水口は大きな櫛形アーチで、大きなゴミが入らないように鉄柵で覆われています。取水口で取り込まれた水は、約500m離れた沈殿池へ地下トンネルを通って送られます。水量の調整などをするための調整室が取水口の上にあります。点検路の先から続く調整室は、山をくり抜いたような形で造られ、床に点検口の扉や制水弁があります。天井はかまぼこ型にくり抜かれ、入り口周辺には面取りが見られるなど土木技術だけでなく、デザイン的にも優れた構造物としても価値のある施設です。(2012.08.04)