建築探偵のアングル

アングル140

日光真光教会礼拝堂
日光真光教会礼拝堂

~日光真光教会礼拝堂~

 

 精巧できらびやかな陽明門に代表される世界遺産のまち日光。日光駅から30分ほどの国道120号線沿い、西参道近くに木立に囲まれた石造りの栃木県指定有形文化財ゴシック様式の日光真光教会礼拝堂があります。日光は明治の初めから避暑地として訪れる外国人が多く、明治中期から昭和初期までに洋風ホテル、大使館別邸などが建てられ、今ではレストランとして営業しているところもあります。日光真光教会は日本聖公会の教会として1914年(大正3年)に建てられた石積み天然スレート葺きで、外壁面は近くの大谷川から採取した安山岩の乱石積み(規則的でない積み方)で内壁は鹿沼石の平張り。この建物はアメリカ人宣教師ガ―ディナー晩年の作品で、彼は教育者・建築家でもありました。

   宣教師や伝道師はキリスト教布教という目的のほかに医者・建築家・教師・事業家など、いくつもの顔を持っています。メンソレータムで知られるヴォーリズもその一人で、近江八幡と軽井沢で多くの名建築を残し、最後の弟子と言われる横田末吉は横須賀の上町教会を1931年(昭和6年)に設計しています。因みにガ―ディナーが1907年(明治40年)に建てた重要文化財京都ヨハネ教会は明治村で保存されています。(2018.02.01

 

 

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アングル139

小田急線片瀬江ノ島駅
小田急線片瀬江ノ島駅

 ~片瀬江ノ島駅~

  

 竜宮城駅舎として観光客を迎える「小田急片瀬江ノ島駅」は1929年(昭和4年)に開通と同時に開業、今も当時と変わらない姿で親しまれていますが、当初は6カ月の期限付き仮設という条件だった(小田急50年史)そうです。

 江の島が2020年の東京オリンピックセーリング競技会場となるのに合わせて、藤沢市は駅周辺の整備を計画。それに伴い駅ビルも含めた駅舎の建て替えが検討されニュースになりました。片瀬江ノ島駅は1999年(平成11年)に鉄道の日に合わせて1997年(平成9年)から実施されている「関東の駅100選」にも選定されたユニークで親しみある駅舎です。存続を願う声も聞こえる中、小田急電鉄が現駅舎の印象を踏襲したという新築計画を発表しました。宮大工による本格的な社寺建築の竜宮造りで、現在の朱塗りと緑を基本にアーチ型入り口が白漆喰風のより竜宮城に近いアーチ型に、入母屋を組み上げた様式の鉄骨造で現在より2メートルほど高くなりワクワク感のある竜宮城が出現しそうです。

   その地域を語るのも駅舎の役目。階段のない横須賀駅、東京の上野駅や両国駅もそのまま活用されてショッピングや飲食店で賑わっています。(2018.01.15

  

 

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アングル138

大勢の見学者で賑わう岩瀬邸の茅葺き替
大勢の見学者で賑わう岩瀬邸の茅葺き替

~茅葺屋根の吹き替え~

  

 小田原市鴨宮の国登録有形文化財「岩瀬邸」の茅葺屋根の葺き替えを見学しました。185758年(安政4~5年)に建築された茅葺農家造りで、幕末から明治期の豪農の形態をほとんど建築当初のまま伝える貴重な建物です。葺き替えは10年ごとに南側と北側を交互に行っているそうです。市からの補助300万円のほかは持ち主の負担で、今回は南側と東西の横部分の3面、約220㎡が葺き替えられます。宮城県石巻の専門の職人さんが8人ほど1120日から12月末までかかって葺き替えます。茅は北上川流域の茅場で採取したアシ807束が使われるとのこと。1995年(平成7年)「小田原ゆかりの優れた建造物」に認定され案内板が門前に掲示されていました。

  戦前戦後を通して三越社長、日経連常任理事などを務め実業界で活躍した岩瀬英一郎(18941963年)の生家としても知られています。大学卒業後三井銀行に入りニューヨーク支店長も経験していることから、横須賀の万代順四郎とのご縁を感じました。作業には女性もモンゴルやアフリカから技術習得のため参加している人もいるとのこと。穀物蔵などではイベントも開催するそうです。(2018.01.01

 

 

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アングル137

丹沢や富士山が望める2階展望室
丹沢や富士山が望める2階展望室

~俣野別邸庭園~

  

 横浜市戸塚区東俣野にある俣野別邸庭園へは戸塚駅・藤沢駅からバスで「鉄砲宿」下車、国道1号線の陸橋を渡るとすぐに鎌倉石の正門があります。約4haという林の中に旧住友家別邸として1939年(昭和14年)、佐藤秀三設計により建てられた和洋折衷住宅がありました。2004年(平成16年)7月に国重要文化財に指定されましたが2009年(平成21年)焼失、2017年(平成29年)に主な部屋の造りや仕上げを忠実に再現し建築されたのが現在の建物です。焼失時に改修工事中だったことから建具や照明器具、彫刻が施された天井板などは外されていたため難を免れ、現在の建物に使われています。昭和前期の様々なデザイン要素と日本建築が違和感なく感じられる建物で、現在は横浜市認定歴史的建造物に認定されています。展示室には竹を用いた壁下地や漆喰仕上げの工事過程などがわかりやすく展示されていました。指定管理者は(公財)横浜市緑の協会、コンサートや講座などを開催するほか、日本ガーデンデザイン専門学校の学生が実習を兼ねて庭園の樹木や花の手入れなどを行っています。住友時代は農場と馬場があったという庭園は、四季折々の花や新緑・紅葉を楽しめます。毎月第3木曜休園。(2017.12.15

 

 

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アングル136

本小松石の丁場
本小松石の丁場

~本小松石のルーツを訪ねる~

  

 真鶴町の本小松石の丁場(採石場)を訪ねました。日本一の銘石とされる本小松石の特徴は、耐久性、耐火性に優れ粘り強く欠けにくい性質があります。本小松石は40万年前の箱根火山噴火で海に押し出された溶岩が急速に固まった輝石安山岩です。真鶴の主な産業は漁業、ミカン農家、採石で、なかでも鎌倉時代から都市建設の石材として利用されてきた本小松石は真鶴を代表する産業です。町では小道や石段などに小松石を配したまちづくりを行っていました。 ご案内いただいた石材店さんによると以前は発破を使った時代もあるが、良い石材が壊れてしまうことから現在はユンボで切り出しているとのこと。切り出した岩を形成し、磨きをかけて墓石や記念碑などに現場近くの作業所で加工します。青目材が特級品で、さらに芯に近い部分の艶の良いところを大トロといい超特級品。高級品は墓石、次が間知石、その次のランクが護岸、木っ端石は装飾材にもなります。石を切り出した後は埋め戻して木を植え、原状復帰します。表面に筋などが入ったもの、赤混じりのものはランクが落ちます。東の本小松、西の庵治石(御影石)と言われ、どちらも銘石の代表です。(2017.12.01

 

 

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アングル135

二俣駅の転車台と扇型車庫
二俣駅の転車台と扇型車庫

 ~天浜線の転車台と扇型車庫~

  

 ≪天竜浜名湖鉄道(天浜線)≫は浜名湖の北側を通る東海道線掛川から新所原を結ぶ67.7キロの路線で、全線に亘り36件の駅舎・プラットホーム・橋梁・隧道などの主要施設が国登録文化財に登録されています。小さな駅舎はいずれも開業当時からの姿を留めており、駅舎の一部が観光協会や歯科医、飲食店などに利用されているところもある地域の中心的場所となっています。

   天浜線の開業目的は、浜名湖にかかる東海道線の橋梁が戦争被害を受けた場合の迂回路として計画されました。全通したのは1940年(昭和15年)6月。1944年(昭和19年)東南海地震、1945年(昭和20年)の空襲被害の時は迂回路の役割を果たしました。1987年(昭和62年)に民営化され、現在は観光路線として親しまれています。

   二俣駅には蒸気機関車の進行方向を転換させるための転車台があり、鉄製で直径約18メートル、実際に稼働しています。当初6線だった扇型車庫は現在4線。ともに1998年(平成10年)に国登録文化財に登録されています。転車台見学ツアーが行われていますが案内は広報担当の社員の方で、天浜線への誇りと愛着が感じられる解説でした。(2017.11.15

 

 

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アングル134

観光客で賑わう東置繭所
観光客で賑わう東置繭所

~富岡製糸場西置繭所~

 

 「富岡製糸場と絹産業遺産群」がユネスコの世界遺産に登録されたのは2014年(平成26年)6月で、その12月には繰糸所と東・西置繭所が国宝に指定されました。群馬県は昔から絹産業が盛んで、絹産業に関する文化遺産が多数残っていますがその中心となるのが富岡製糸場です。近代国家設立のため高品質の生糸を大量生産し、輸出する目的のモデル官営工場として1872年(明治5年)に操業開始、民間へ払い下げられたのちも1987年(昭和62年)まで操業していました。片倉工業(株)がすべての建造物を富岡市へ寄贈、2005年(平成17年)から市が管理し公開が行われています。

 現在、西置繭所の保存修理工事が2015年(平成27年)から行われており、工事の様子を見学できるようになっています。見学料は大人1000円、チケットには「保存整備工事等の財源とし・・」と書かれており、入場することで文化財の保存管理に少し貢献した気分になります。西置繭所の保存修理には33億円かかるそうで半分は国が、残りは県と市の予算だそうです。保存活用が決まった横須賀の万代会館も、共感の得られる保存整備費用計画を考えなくてはなりません。(2017.11.01

 

 

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アングル133

ラスカ平塚の屋上庭園
ラスカ平塚の屋上庭園

~ラスカ平塚の屋上庭園~

  

 JR平塚駅の駅ビルラスカ屋上の庭園≪ラスカの杜≫がリニューアルし、4月20日にオープンしました。ラスカの杜はステーションビル開業40周年記念事業として2013年(平成25年)にテニスコート跡地1175平方メートルにつくられた屋上庭園です。平塚の中心となる施設をつくろうと街の活性化のためにテニスコート跡地利用を協議し、訪ずれた人が思い思いの時間を過ごす場所になっています。木陰のベンチ、ドーム型のレストラン、バーベキュー設備もある空が開けた空間でした。中央には座ったり寝そべったりできる芝生広場、北と南側にはデッキテラス、北側にはウッドチェアー、イベントやショーも行えるそうです。

 屋上庭園の植栽はアクアソイル工法という人工地盤植樹工法で、軽量で保水性が高い無機質軽量土壌と高機能な排水性を備えた方法で、屋上緑化、木造建築物の草屋根工法など意匠・植栽・土壌などの良好な環境を造り出す基本の工法ということです。再開発計画が進む横須賀の中心市街地は埋め立てが多く広い土地がありません。地域全体のコンセプトを共有し、ビル計画には公開空地や屋上、斜面緑化を採り入れるなど気軽に行かれる場所が望まれます。(2017.10.15

 

 

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アングル132

豆田町の交流館
豆田町の交流館

~豆田町の歴史的建造物群~

 

 大分県日田市は大分市から90キロ、車で約70分のところです。市の中心の豆田町は、2014年(平成26年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定され江戸時代の町割りが残る通りを中心に町並み保存に取り組むと同時に観光地として賑わっています。1601年(慶長6年)丸山城築城に合わせて城下町として建設された豆田町は、江戸時代初期から江戸幕府の天領として経済・文化の中心地として栄え、今でも江戸時代から昭和初期までに建てられた建物が多く残されています。

   豆田御幸通りに「豆田まちづくり歴史交流館」があります。この場所は町年寄の邸宅、料亭などの変遷を経て、1932年(昭和7年)に古賀医院の診療所として建てられた洋館です。古賀医院閉院後にはレストランとして改修されましたが、2010年(平成22年)に市が土地と建物を購入、大規模復元工事を行い、建築当時の姿に戻し2014年(平成26年)にまちづくり活動の拠点、交流館として会館しました。来訪者への情報発信、保存修理の伝統工法や道具の紹介なども行っています。内部は展示や会議室などにも使用されています。上町通りには江戸から大正時代に亘って建てられた蔵元があり、ここでしか飲めない≪薫長≫の試飲と見学ができます。(2017.10.01

 

 

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アングル131

ポストモダンの「ゆふいん驛」
ポストモダンの「ゆふいん驛」

~ポストモダンの「ゆふいん」駅舎~

 

 山間盆地に開ける大分県由布市湯布院町の湯布院温泉は盆地特有の朝霧に包まれたしっとりした朝を迎えます。中心街にある駅舎は「ゆふいん驛」と記されていますが、久大線の湯平駅として開業したのは1925年(大正14年)。現在の駅舎の竣工は1990年(平成2年)で、ポストモダンの建築家として知られる大分県出身の磯崎新氏の設計、湯布院町とJR九州が2億円の建築費用を半分ずつ負担して完成した駅舎です。湯布院・由布院とわかりにくいのでひらがな表記にしたということです。外観は木造で黒塗り、ヨーロッパの大聖堂をイメージしたという高さ12メートルの吹き抜けの蝙蝠天井のコンコース。温泉を利用した床暖房のある待合室はイベントホールを兼ね、観光案内や作品発表、地域の会合にも使える多目的ホールになっています。建築家の意向でエレベーターが設置されなかったそうで、最近多い韓国・中国からの観光客の大型キャリーバッグは大変だということです。

   ポストモダン建築は合理的で機能的な近代主義を越え、装飾性などを回復しようとした建築で、磯崎の作品としては水戸芸術館が知られています。(2017.09.16