活動報告

 

「深田の紺屋藤屋」見学 2024120

 

 上町2-17、上町商店街商盛会の通りにある藤井邸は元紺屋を営んでいた。横須賀市史別冊近現代の近代建築273ページに実測図とともに解説がされている。このたび隣接する貸家部分と乾燥室棟があった裏庭を含め、5階建てのビルに建て替えられることになり、関口太郎氏の紹介で直前に見学させていただいた。現当主は藤井長生氏昭和6年生まれの92歳。

 「三浦郡豊島町をもっとよく知る会」が昭和56年に先代の藤井繁造氏から伺った聞き取り資料によると、藤井家は浦賀にいた御家人だった。明治になり、府中の紺屋で修業し浦賀の紺屋町で染物問屋を創業した。明治17年、横須賀に鎮守府が設置されたことで街が発展することを見越し明治20年ころ横須賀の汐留に移り開店した。同じころ、さいか屋も浦賀から出て谷町で呉服屋を開いた。その後、上町の今の場所に移り「深田の藤屋」と呼ばれ仕事着の藍染を行った。建物は木造2階建てだったが関東大震災で1階部分がつぶれたため昭和2年に繁造氏が現在の家を建てた。

今回の見学で長生氏にお聞きしたこと。染物店を廃業した際1階の作業場だったところをダイニングキッチンとし、その地下に藍甕を16個コンクリートで埋めた。取り出しはできない。紺屋時代には土間と畳でお客様に応対していた店部分は、書斎として改築しフローリングにしたが土間だったことで一段低くなっている。店だった時代は主人の後ろ壁面いっぱいにガラス戸の入った商品棚が作りつけられていた。改築にあたり隣家の金子八百屋側壁面へ移設してそのまま設置し本棚とした。店の奥が茶の間6畳、廊下を挟んで6畳の座敷と仏間、2階は65畳の家族室と床の間付きの10畳の座敷。床の間の床柱と床板、部屋の欄間は新築マンションの自室に移設、建築当初の照明器具は博物館へ寄贈、建物の歴史を残した。長生氏は子どものころ天井裏の掃除をさせられたが梁を歩いたりして楽しかったそうだ。2階の二部屋の南側は広い縁側で通し、室内は光が入り明るい。1階作業場をダイニングキッチンに改築した際上部をベランダに。震災で家がつぶれたことで、現在の家はシンプルで堅牢に造られている。3本の通し柱、室内からも見える太い梁、四隅には羽子板金物で梁と柱を接合、歪みを防ぎ今でも狂いもなくしっかりした建物となっている。2階窓には角レールが使われている。今回の建て替えにあたりこの家は取り壊して駐車場になる。

深田は名の通り地盤が弱いので貸し店建物解体にあたり基礎には松杭が三本束ねて三角錐状に埋められていたことが分かったことで、新しいビルの基礎には30mの杭を打ち込んだ。解体時に棟札が見つかると大工棟梁の名前がわかり震災復興時のまちの建築の様子を知る手掛かりとなるのではないか。

染物は仕上げに糊付けした布を柔らかくするために臼ぐらいの大きさのピカピカに磨かれた石の上に反物を載せ、キズチでたたいて柔らかくしたとのこと。玄関に置かれていた貴重な石の道具だったが石の種類もわからないまま廃棄されることになった。染物職人の最後の仕上げ道具として価値ある職人道具だが残念だ。

見学させていただき当時の建物再建に耐震の考えが生かされていたことが分かった。

 

 

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「国登録有形文化財 上町教会・めぐみ幼稚園の

 

歴史を伝える《床材》の保存」

 

 

 

 牧師館入口踏込みの床材は、1931年(昭和6年)カナダから運ばれた教

 

会堂建設当初の床材です。2023年(令和年)8月教会堂の床改修にあた

 

り、記録保存と再利用を兼ねてここに設置しました。

 

  

2023年

3月

24日

旧長濱検疫所一号停留所レポート

旧長濱検疫所一号停留所レポートB(2320324修正).pdf
PDFファイル 7.9 MB
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2022年

1月

14日

旧伊藤博文金沢別邸 燻蒸作業レポート

旧伊藤博文金沢別邸燻蒸作業レポート2021.12 pdf.pdf
PDFファイル 1'023.6 KB
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2020年

4月

06日

編集開始から8年

おかげさまで、編集開始から8年経ちました。(TY)2020.04.06

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2019年

3月

25日

編集開始から7年

 

おかげさまで、編集開始から7年経ちました。(TY)2019.03.25

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2018年

3月

25日

編集開始から6年

おかげさまで、編集開始から6年経ちました。(TY) 2018.03.25

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2013年

3月

25日

編集開始から1年

おかげさまで、編集開始から1年経ちました。

ありがとうございます。

今後もよろしくお願いいたします。(TY) 2013.03.25

 

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2012年

4月

11日

横須賀水道みちウオーキングの結果報告(2)

海軍杭
海軍杭

 海老名駅近く小田急線の踏切を出発点にしようとしたが小田急線は高架になってしまい踏切確認できず『水道路』探すのにアタフタした。東名から降りるインターができた所為か畑の中を広い道路がバンバン出来ている。もう既に駅の近くにはマンションが幾つも建っているが駅から徒歩10分、20分の畑地にマンションが林立する気配がする。踏切があった近く海老名総合病院脇の排水路は以前のままで水道管は保護されているが『路』は海老名市が監理する緑地と遊歩道。数個並ぶ石杭に海老名市の鋲が打ってある「売ったんじゃない?」と、参加者は口々に話している。公営住宅らしい団地の脇は住人が花壇にしている。大切に使われていると言えなくもない。

 

 ♪アチュギノタイチュスッチャカタッタッタ 四十数年前娘が歌っていたのを想い出しながら「あつぎ」工場脇の『路』を通ると貸駐車場/横須賀市水道部の看板、『路』の半分をロープで区切り縦列で貸しているらしい。車は止まっていなかったが、ロープは古くまともに区切られていない。

 

 交差する道路を渡り、切り通した坂道を行く。切った処は草土手で土手の上部に石杭が点在する。脇腹に波が掘られた旧海軍のもの、テッペンにYが掘られた横須賀市水道部のものなどがある。旧軍の杭は太く頑丈そう、市のものは細身、もっと最近のはぐっと細い。財政難を見る思いがする。そのうちプラスチックになり、果ては木杭になるかも知れない。杭が何本か横倒しになっていて土留めに使われてさえいるのを痛ましい思いで見下ろす。

  

 

 

道祖神
道祖神

 途中振り向くと大山、三峰の山々が霞みがかって見える。古くからの道と交差する辻二ヶ所に道祖神が祭られている。「横須賀には道祖神は一つも無い。庚申塔は多いけどね」と同行者がのたまう。この辺りの電柱に取り付けてあるプレートは普通の町名番地だが番地の下に地図が、現在地が赤点で示してあり入り組んだ道がよく判る。右側の林に子どもが遊んでいる。木の上から綱を垂らし板を括りつけてブランコ。ターザンごっこだ。子どもが遊べる自然を大人たちは奪っていく。坂を登りきり又振り返ると『路』は真っ直ぐだがうねっている。頂上に橋があり「吉久保橋」という、流れは速く時速80キロを超える。ひとは「車の流れ」とよんでいる。世に言う東名である。

水道みち公園
水道みち公園

 橋から坂を下りていく左側は区画された住宅団地で造成時存在しただろう杭は一つも無い。右側の造成されない方には杭が残っているのでその差歴然である。その先団地の外れに「水道みち公園」という広場が在って遊具などが置いてある。うっかりして観察しなかったが『水道路』杭は公園の柵に記念として使われたか供養塔にでもなったか好事家に引き取られたか全く不明なのだ。

 

 それはさて置き住宅団地にある児童公園で昼食となった。親に連れられて来た子がブランコをしている。ターザンごっこの比では無い。大きな広場が在り桜も咲いているのに他に誰もいない。周辺に在るベンチで三々五々食事をとる。明後日のほうで食べてる人もいる「カンチュウハイ買ってくればよかった」と呟いてみるが昼間から飲むなんて、という不文律がある。

 

 住宅団地は県道で藤沢市と綾瀬市に分かれていて『路』と交わる交差点の左側は桜並木「800メートルもあるのよ、並木の下の花壇も綺麗だから」近所の女性「有難う」と言って別れる。県道を桜並木と反対に右折。20メートル程先に高座豚のハム、ソーセージ直売所が在りトイレを借り、それぞれ物を買ったり食べたりする。『路』に戻ると「県企業庁水道局吉岡配水池」があり又も『路』貸駐車場、ここは舗装されペンキで区画されている。坂の下は谷間で広い庭のある農家、その先は豚舎と搾乳工場(?)『路』を通ると臭いこと臭いこと。その先「堀の内橋」の架かる目久尻川が流れている。川下には「寒川神社」があり「横須賀市水道局 社家導水ポンプ所」「横須賀市水道局・横浜水道局寒川取水事務所」がある。

 

 小高い丘の切り通しを行く。両側の土手の上に石杭は在る。土手の草は住人が刈って ると他所で聞いた。右手に「綾瀬浄水場」が在るらしいのだが「うちらは横須賀だ」と無視する。畑地が続く平坦な『路』を行くと野菜無人販売所があり人参と里芋を売っている「100円は安いわ」女性は群がるが持って行くには重いので男性は見向きもしない。買った女性はその後辛そうに歩いていた。

 

 工業団地を通るが土曜日なので静かだ。家内工業を営む家は音を出しても咎められない場所で遣るしかない。住宅団地の中では駄目だ。この辺りは工場地帯で住まいは別だし土日は休みだから今日は静かなのだろう。工業団地を過ぎると畑地になり藤沢市だ。舗装してない土の道『水道路』は農道と化している。畑には作物らしきもの無し。大根が並んで背伸びしている「大根って上に伸びるのかしら」「土が硬いと上に伸びるのかも」。この辺りは庭木を栽培している処が多いらしい。左手先は車が頻繁に通っている道路があるようだ。右手先方「新幹線だ!」。手前の『路』杭は金具を被せた細身の杭。東海道新幹線の線路を潜り電車が来るのを待つ。通過する時は地面がけっこう揺れる。確か「有馬浄水場」からの管がこの辺でぶつかる筈。探してみると『路』から5メートルほど離れたところで新幹線を潜っていて半原からの『水道路』に斜めに入り込んでいるらしい。ここから仲良く藤沢の大鋸辺まで行って又別れる運命となっている。

 

 もうすぐ今日の終点「いすず自動車北門」だが、林、畑、豚舎、自転車歩行者専用道、住宅といろいろあったけど土筆の群生には魂消た。「ツクシ ダレノコ スギナノコ」国語で習った。女性たちが「オカズにする」と、採取する。これが男より長生きする所以だ。その先に新しい道路がまた出来ている。渡れないので信号のある交差点まで遠回りする。家々の庭の枝垂れ梅、桜を見ながら歩き目的地前の県道を車に気を付けて渡りバス停。バスに乗り海老名駅へ。駅前で解散。

 「横須賀水道みちウオーキング」海老名、綾瀬、藤沢と辿った『路』に交差する車の為と云える道路、ひとが小さくなって渡る道路を思う時『横須賀水道路』よ永遠なれと願わずにはいられない。

 ♪四月は花見で酒が飲めるぞ、というわ訳にいかなかった。参加者男7名女6名、計13名。(F)

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2012年

4月

10日

横須賀水道みちウオーキングの結果報告(1)

見つけてくれて、ありがとう
見つけてくれて、ありがとう

 4月7日、海老名市から藤沢市のいすゞ自動車工場まで約8キロの横須賀水道みちを歩きました。さわやかな好天に恵まれ、参加者13人は海老名駅を出発。海老名総合病院のところから横須賀水道の境界杭をたどり始めると、なんと杭の脳天に海老名市の真新しい金属製の小さな杭が打ち込まれ、水道みちは緑道としてきれいに整備されていました。海老名市の管轄なのでしょうか。バス停「水道路」に一同驚き、海軍、水道部、水道局と横須賀水道ゆかりの杭に道案内を頼みました。東名高速を渡ると国分寺台の住宅地。公園で桜を見ながらお弁当を食べてから、まさに見頃の800mの桜並木を見物して、神奈川の名産100選として知られる高座豚直営のソーセージ店でお土産を購入、焼きたてのフランクフルトも味わいました。手の届く高さの新幹線のガード下では新幹線通過時の地響きを体感、42号線を迂回して、いすゞまで到達しました。約3時間半、花を楽しみ、海軍杭を探し、名産品に出会った小旅行でした。魅力満載の横須賀水道みち、ご要望があれば、他のコースもご案内します。 (TK)

 

 

 

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