建築探偵のアングル(バックナンバー 31~40)

その40

ステンドグラス「千里ケ竹の虎退治」
ステンドグラス「千里ケ竹の虎退治」

~小川三知のステンドグラス~

 

  銀座の歌舞伎座は歌舞伎専門の劇場として1889年(明治22年)に開業しました。2013年(平成25年)4月、第5期の歌舞伎座として華やかな中にシックなおしゃれを感じさせる、伝統と斬新さを併せ持った「歌舞伎座」として開業しました。劇場の屋上は日本庭園になっていて、誰でも訪れる事ができます。併設して歌舞伎座ギャラリーがあり、名優の写真などが展示されていますが、その一角に近松門左衛門の「国姓爺合戦」の一場面のステンドグラスがあります。この作品は大正から昭和初期に活躍したステンドグラス作家で建築装飾としてのステンドグラスを日本に広めた小川三知(1867~1928年)の作品で、3期目の歌舞伎座設計にあたった岡田信一郎が設計した個人宅に取り付けられていたものだそうです。実際に当時の歌舞伎座にも小川の作品が使われていました。

 横須賀の旧鎮守府長館官舎のステンドグラスも、小川の研究家である田辺千代さんにより小川三知の作品であることが確認されています。進駐軍接収後不明だった欄間のブドウ、暖炉上部のガラスモザイク「クジャク」などが近年発見され、旧長官邸の歴史的価値が増しました。 (2013.12.01)

 

 

 

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その39

駅前の神戸屋パン店
駅前の神戸屋パン店

国府津駅前の街並み~

 

 東海道本線の国府津駅はJR東日本とJR東海が乗り入れている境界駅です。東京・熱海間はJR東日本、ここが起点となる御殿場線はJR東海です。国府津駅の開業は、旧横浜駅と国府津駅間が開通した1887年(明治20年)7月11日。御殿場線は1889年(明治22年)、国府津・沼津間が開業、1909年(明治42年)には東海道線と命名されました。国府津駅も鉄道と共に栄えてきました。

 駅前商店街には、関東大震災の復興期に建てられた看板建築、出桁造りの店舗や事務所、洋風住宅、石造の蔵など、繁栄したまちの様子を伝える建物が多く見受けられます。駅から国道へ出る角に、パンの神戸屋があります。1935年(昭和10年)ごろ建てられた看板建築で、元はタクシー会社の車庫兼社屋だったとのことで、車庫部分を店舗としています。2004年(平成16年)に国登録文化財に登録されています。国府津の登録文化財は、ほかに長谷川家住宅・石蔵がありますが、そのほかにも国道に沿って沢山の魅力的な建物が建ち並んでいます。  

 因みに国府津の地名は、大磯町西部に相模国の国府があり、それに近い港だったからとの説があるそうです。(2013.11.15)

 

 

 

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その38

タケイ美容室(左)と横山酒店(右)
タケイ美容室(左)と横山酒店(右)

~御殿場線山北駅前~

 

   御殿場線山北駅周辺には、昭和初期に建てられた建物がかなり見られます。御殿場線は1989年(明治22年)2月、国府津駅と沼津駅を結ぶ東海道本線として開業しました。御殿場経由のルートは勾配がきつく、山北駅で補助機関車(補機)を連結しなければなりませんでした。そのための機関区が構内にあり、何両もの補機が常に待機、蒸気機関車に石炭や水を供給するなど鉄道の街として栄えていました。大正から昭和初期の最盛期には600人以上の職員が働いていたとのことです。1934年(昭和9年)に丹那トンネルが開通し、東海道線が熱海ルートとなると賑わいは消えました。1943年(昭和18年)には資材供出でレールがはずされ単線になりました。そのレールは横須賀線の横須賀駅、衣笠駅間に敷設されたのです。

   写真は山北駅前の出桁造りの横山酒店と洋風のタケイ美容室で、どちらも1928年(昭和3年)に建てられました。角のアール部分にドアーのあるおしゃれな美容室、老舗の酒店では山北の地酒「丹沢」を買いました。 (2013.10.31)

 

 

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その37

丹沢湖の三保の家
丹沢湖の三保の家

~丹沢湖の三保の家~

 

   神奈川県山北町、丹沢の麓にあるのが丹沢湖です。丹沢湖は、1961年(昭和36年)から建設が始まり、1978年(昭和53年)に完成した三保ダムにより堰き止められた人造湖です。永歳橋を渡ると中川温泉や西丹沢へと続き、秋には紅葉の名所として知られています。橋の手前にあるのが入母屋造り茅葺屋根の三保の家です。丹沢湖の誕生にあたって湖底には223世帯の民家が沈み、そこに暮らした人たちは移住しました。その中の1軒、世附の旧家、渡邊家住宅を移築し、当時の生活用具や写真を展示し、無料で見学できる施設が三保の家です。座敷の奥に廊下があり、風呂場と便所へは扉を開けて外へ出ます。土間と囲炉裏の部屋には天井がなく、いろりの煙が屋根裏に回るようになっており、そのほかの部屋には天井がありました。屋根の茅はかなり抜けていて、展示してある写真も退色してはっきりわかりにくい感じがちょっと残念でしたが、建物から暮らしの歴史を実感することが出来ました。
   丹沢湖の水は酒匂川に流れ、酒匂川で取水された水は県内に広く給水されますが、海老名市の有馬から横須賀市へも給水されています。 (2013.10.16)

 

 

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その36

浪速教会の建物
浪速教会の建物

 ~ヴォーリズが設計指導した浪速教会~

 

   大阪市中央区高麗橋、近くにはいくつもの近代建築が残る三休橋筋に面して建つ浪速教会。創立は1877年(明治10年)で、アメリカのノースウエスタン大学で神学を学んだ澤山保羅が初代牧師を務めています。

   現在の会堂はアメリカ人建築家、ウイリアム・M・ヴォーリズの設計指導のもと、竹中工務店が設計・施工し、1930年(昭和5年)に竣工しています。

  ヴォーリズは1905年(明治38年)、24歳で滋賀県商業学校(現県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日しましたが、2年あまりで退職。それを契機にキリスト教団近江ミッションを起こし、キリスト教伝道、建築事務所、メンソレータムの販売元である近江兄弟社設立など多くの仕事を手掛けました。

  ヴォーリズの作品は全国にありますが、近くは明治学院チャペル、フェリス女学院などが知られています。

   現在、横須賀市内の民間建物で唯一の国登録文化財である上町教会は、ヴォーリズの弟子、横田末吉の設計で1931年(昭和6年)に建てられました。うわまち教会建物応援団では、歴史を語る建物の維持・保全・活用を応援しています。(2013.09.30)

 

 

 

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その35

堂々とした旧大阪市立博物館
堂々とした旧大阪市立博物館

~旧大阪市立博物館~

 

 大阪のシンボル、大阪城天守が聳える大阪城公園。旧大阪市立博物館は天守の真下あたりにクラシックな姿で佇んでいます。外観はスクラッチタイル仕上げで、左右対称のロマネスク様式、正面両側にはタレットと呼ばれる隅小塔が厳めしくヨーロッパの古城をイメージさせるデザインの建物です。

 1929年(昭和4年)2月、昭和天皇即位記念に陸軍第4師団司令部として新築。設計は第4師団経理部、施工は清水建設でした。事業主体は大阪市で、財源は市民からの寄付。竣工後、国へ寄贈されたということです。

 建物は戦災を受けず、戦後は連合国軍に接収、解除後に大阪市警視庁本部などの庁舎時代を経て、1958年(昭和33年)大阪市の管理下となり、1960年(昭和35年)大阪市立博物館として開館、2001年(平成13年)に閉館となりました。今後の利用方法は未定とのことです。

 商都大阪には中之島公会堂や大阪図書館など、個人の寄付によって建てられた歴史的建造物があります。現在の大阪城天守も1931年(昭和6年)市民の熱意と寄付によって再建されています。大阪人気質の生きる街づくりを感じました。 (2013.09.15)

 

 

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その34

町田天満宮の力神
町田天満宮の力神

~町田天満宮の力神~

 

町田天満宮は、町田駅から10分ほどのところにある菅原道真を祀る神社です。由緒書きによると創建は1582年(天正10年)ごろで、幾多の経緯を経た1872年(明治5年)、原町田村の大火により社殿は焼失しました。その後1890年(明治23年)7月から当時の名工相州愛甲郡中津村の彫刻師和田光親、義親の造営により、1894年(明治27年)4月に再建されています。1967年(昭和42年)9月には現社殿が竣工しましたが、境内社としての旧社殿は、今も見事な彫刻の施された明治建築の存在感を放っています。

 横須賀水道半原水源地のある愛川町は、江戸時代から優秀な宮大工が多く、半原大工は江戸城修繕にも関わっています。彼らの仕事は関東一円に広がっていたとのことですが、絹の道としても関わりのある愛川町の職人の優れた作品に出会えてうれしい気持ちになりました。

 境内社の彫刻は素晴らしく、特に紅梁の竜の彫刻左右に施された力神は、力強いポーズで肩に食い込む屋根を支えています。力神は左右の軒下か縁の下などにある場合が多いので、正面に見ることは珍しいのではないでしょうか。(2013.08.31)

 

 

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その33

3軒続きの看板建築
3軒続きの看板建築

~北品川の参道商店街~


 京急品川駅から横須賀方面に向かって歩くと、八ツ山橋の踏切があります。踏切を渡ると旧東海道の宿場で、現在は商店街です。

 踏切を渡らずに国道を行くと、右手に品川の地名由来ともなった源頼朝勧請の品川神社があり、富士塚が聳えています。鳥居から真っ直ぐに伸びているのが「北番場参道通り商店街」で、最近は近代的な超高層ビルの印象がある品川ですが、歴史の息吹を伝えるこのあたりは、落ち着いた懐かしい雰囲気の粋な品川が感じられます。昔からの商店、時代に合わせて業種変更した店舗など、それぞれが特徴を出しながらの店構えです。写真の看板建築の店舗は3軒続きで、現在は麺屋、居酒屋、ヘアーサロンです。他にも看板建築、出桁造りなどがあり、みな営業中。古いけれどしっかりした材料で丁寧に建てられた昭和初期の建物には、静かな力があるように思われます。

 一方、マンション建設も盛んで、リニア中央新幹線は品川発とのニュースもあり、歴史を伝える街並みが少しずつ変わろうとしているのが感じられました。(2013.08.10)

 

 

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雨の中の調査(上郷水管橋付近)
雨の中の調査(上郷水管橋付近)

その32

 

~「半原水道みち」の調査~

 

 アングル25に掲載しましたが、「市民協働事業」に応募した「横須賀水道半原系統旧海軍水道みち(以下「半原水道みち」。)踏査・活用プロジェクト」が認められて活動に対する補助金が38万円付きました。今年度中に基礎調査を行い、写真とデータをまとめ印刷物にするというものです。「半原水道みち」には、大正時代に敷設された海軍時代のもの、戦後の水道部時代のもの、水道局になってからのものなど横須賀水道を語る様々なものがあります。今回の調査は、海軍時代に絞って記録しています。次年度以降は調査資料をもとにシンポジウムなどのイベントの開催や、現存する施設や構造物などの新たな活用などについて考えたいと思っています。

 踏査は月2回行い、そのあと検討会を開き、意見交換などしながら進めています。今日(6月26日)は4回目、あいにくの雨模様になり、昼で終わりました。次回は7月12日(金)7時55分(最後尾車両)中央発に乗って海老名まで行きます。どなたでも参加できます(雨天中止)。その次は8月1日です。近代横須賀と海軍を支えた「半原水道みち」を歩いてみませんか。(2013.06.30

 

 

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看板建築の十七屋履物店
看板建築の十七屋履物店

その31

 

~石岡市の建築散歩~

 

 茨城県石岡市へは上野駅からスーパーひたちで約1時間半、JR石岡駅に着きます。整然とした街並みですが、1929年(昭和4年)の大火で市街がほとんど灰燼に帰したそうです。その中でたった1棟江戸末期に建てられた商家が残りました。染物屋だったそうですが、現在は「まち蔵藍」という観光施設になっています。

大火からの復興期である1930年(昭和5年)から1932年(昭和7年)ごろにかけて、個性的な建物が建てられていきます。丁度関東大震災の復興期の横須賀と同じように、焼け野原からの再生で、ファサードにモルタルや銅板を使った木造2階建ての看板建築、コンクリートに土壁漆喰塗を施した商家建築など、それぞれ立派な店構えの店舗が建てられました。昭和初期に看板建築が関東一円に広がったことがわかり、横須賀と時代を共通するものを感じて懐かしい気持ちになりました。

駅から15分程度の街並みに登録文化財の建物が11棟、職種が変わったところもありますが盛業中で、お店に入ると快く建物や商売の話を聞かせてくれます。まちなかが博物館のようでした。造り酒屋「府中誉」でお土産をゲット。 (2013.06.15)